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「復古〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

復古の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
王家の精神をもって源平以来の外家の歴史を書いてわれわれに遺してくれた。今日の王政復古を持ち来《きた》した原動力は何であったかといえば、多くの歴史家がいうとおり山....
仇討禁止令」より 著者:菊池寛
栖川宮が錦旗を奉じて、東海道をお下りになっているという確報も参っております。王政復古は、天下の大勢でござります。将軍家におかれても、朝廷へ御帰順の思し召しがある....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
西洋文明の代表者と決勝戦を交える準備を完了するのであります。明治維新の眼目が王政復古にあったが如く、廃藩置県にあった如く、昭和維新の政治的眼目は東亜連盟の結成に....
黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
で捺しました。たぶん貴方は、あの方がいっさいを旧制度的に扱うのを――つまり、その復古趣味を御存じでしょうな。ところで、それが済むと、その二葉を金庫の抽斗の中に蔵....
鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
を蹂躙しようと云うのである。 所が、排幕派の議論が勝利を占めて十二月九日、王政復古の号令が発せられ、アンチ徳川の連中は悉く復活し、公武合体派は参朝を禁ぜられて....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
、如何にして崩壊したかを説かねばならない。 元弘三年六月五日、後醍醐天皇は王政復古の偉業成って、めでたく京都に還幸された。楠正成、名和|長年以下の凱旋諸将を従....
近時政論考」より 著者:陸羯南
いわく攘夷論、いわく開港論、二つのものは外政上における常時の論派なり。いわく王政復古、いわく皇武合体、二つのものは内政上における常時の論派なり。封建時代の当時に....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ある兄弟の半蔵は平田門人の一人であり、この神葬祭の一条は平田派の国学者が起こした復古運動の一つであるらしいのだから。 「おれは、てっきり国学者の運動とにらんだ。....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
平田の諸門人にとって郷土後進にも伝うべきよき記念事業であり、彼らが心から要求する復古と再生との夢の象徴である。なぜかなら、より明るい世界への啓示を彼らに与え、健....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
と。 不幸にも、先年東海道川崎駅に近い生麦村に起こったと同じような事件が、王政復古の日を迎えてまだ間もない神戸|三宮に突発した。しかも、京都新政府においては徳....
二合五勺に関する愛国的考察」より 著者:坂口安吾
明治となり、この事実が発覚した。明治政府はまだ信仰の自由を許しておらぬ。例の王政復古というやつで、宗教は神道ひとつ、仏教もつぶしてしまえという反動時代だったから....
「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
雑誌を出すことにした。表題は「新しき生命」という意味を採った。われわれは当時大抵復古の傾向を帯びていたから、これを「新生」といったわけである。 「新生」出版の期....
水鳥亭」より 著者:坂口安吾
に於て日本精神による方法の勝利を発見したように、米英の科学思想は究極に於て日本の復古精神に敗れますよ。日本全土が焦土と化した後に於て、米英の科学思想は逆に日本に....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
した。十二月八日のことであった。その結果諸般の改革を見、翌九日、天皇|親臨、王政復古の大号令を下され、徳川幕府は十五代、二百六十五年を以て、政権朝廷に帰したので....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
しい流れに押されて行ってしまうものである。それが立ち直ったのだから、『千載集』の復古主義は非常に力の強い、旗幟鮮明な運動であったことを承知しなければならない。こ....