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徳富蘇峰
「徳富蘇峰〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
徳富蘇峰の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
吉、小林躋造、豊田副武 ◯進藤一馬、四王天延孝、笹川良一、古野伊之助、池崎忠孝、
徳富蘇峰、大川周明、太田正孝、正力松太郎、横山雄偉、児玉誉士夫 以上五十九名 ....
「寺坂吉右衛門の逃亡」より 著者:直木三十五
として四十七人の中へ加えられているのである。簡単に、その証拠を、拠《あ》げるが、
徳富蘇峰氏の「近世日本国民史」元禄時代中篇、三百十一頁に「寺坂の使命と称すべきも....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
ない。 『※語、抽斎述」の五字が篆文で題してあって、首尾|渾て抽斎の自筆である。
徳富蘇峰さんの蔵本になっているのを、わたくしは借覧した。 抽斎随筆、雑録、日記....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
のが一番のハイカラであった。 二十五年前には「国民之友」が漸く生れたばかりで、
徳富蘇峰氏が志賀、三宅両氏と共に並称せられた青年文人であった。硯友社は未だ高等学....
「今日の文学の鳥瞰図」より 著者:宮本百合子
寧ろ困難である。作家には文化勲章が与えられず、日本歴史の研究その他で知られている
徳富蘇峰氏等の名が候補者として噂にのぼっているのはどう言う訳であろうか。 ここ....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
に躊躇する。なる程氏は多数の崇拝者を持っている。併し崇拝者の数を云うなら、恐らく
徳富蘇峰氏(之は思想家ではなくてただの歴史家かそうでなければ多少デマゴギッシュな....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
名は知れているが、その以前の系図は伝わらぬという事である。唯私がこの頃国民新聞の
徳富蘇峰氏が書かれたる日本国民史を見た時、織田が丹波に攻め込んだ際城を取られた者....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
一人。ゆこうかゆくまいか。紋付着て帯しめて苦しい。それでも決心して出かけました。
徳富蘇峰、桑木厳翼、如是閑その他という顔ぶれ、作家では秋声、白鳥、春夫、※、久米....
「夏目先生と滝田さん」より 著者:芥川竜之介
って顔にかすかな赤味がある位でした。私はいつも云っていたことですが、滝田さんは、
徳富蘇峰、三宅雄二郎の諸氏からずっと下って僕等よりもっと年の若い人にまで原稿を通....
「北村透谷の短き一生」より 著者:島崎藤村
宰していた女学雑誌は、婦人雑誌ではあったが、然し文学宗教其他種々の方面に渉って、
徳富蘇峰氏の国民の友と相対した、一つの大きな勢力であった。北村君を先ず文壇に紹介....
「読書遍歴」より 著者:三木清
をよく話しておられた。私どもは教室でもしばしばこの先生から、中江兆民、福沢諭吉、
徳富蘇峰、三宅雪嶺などについて聞かされたものである。しかし私はその頃はむしろ文学....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
学史に燦爛たる頁を作るエポック・メーキングの名著である。 丁度同時代であった。
徳富蘇峰は『将来之日本』を挈げて故山から上って帝都の論壇に突入し、続いて『国民之....
「書物を愛する道」より 著者:柳田国男
、或は後になって改定し、しかも其中途で既に写し伝えられて居るものも多い。分量では
徳富蘇峰の国民史、中里介山の大菩薩峠の如きものはまだ無かったが、何しろ久しい歳月....
「日本の頭脳調べ」より 著者:戸坂潤
には適当でないのである。長谷川如是閑氏も駄目なら、西田幾多郎氏でさえ適切でない。
徳富蘇峰氏も一種の言論家である限り困る。思想というような形のものは結局、日本文化....