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徳教
「徳教〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
徳教の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
物」、すなわち原始物質を意味するもののようである。』(この「 」の文句は老子の道
徳教の第二五章の引用である。)『道』は『道路』の義であるが、しかし単に道路だけで....
「縮図」より 著者:徳田秋声
庭には、何か時代とそぐわぬ因習に囚われがちな気分もあると同時に、儒教が孤独的な道
徳教の多いところから、保身的な独善主義に陥りやすく、そういうところから醸された雰....
「変った話」より 著者:寺田寅彦
でもどのような風に解釈されどのような道具に使われるかそれは分からない。しかし『道
徳教』でも『論語』でもコーランでも結局はわれわれの智恵を養う蛋白質や脂肪や澱粉で....
「再び科学的精神について」より 著者:戸坂潤
たものは江戸時代初期の儒学者である林羅山だと云われるのは興味のあることだ(本教・
徳教・神教・大道・古道・帝道・という言葉はいつも古いが、この命名法は必ずしも日本....
「新女大学」より 著者:福沢諭吉
雖も、書籍読むよりも物語聞くよりも、更に手近くして有力なる教は父母の行状に在り。
徳教は耳より入らずして目より入るとは我輩の常に唱うる所にして、之を等閑《なおざり....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
、これらは末節に属する事でありまして、さらに一歩を進めた根本問題は人格尊重と、智
徳教養の二点であると思うのであります。これはなかなか困難な事でありまして、いまだ....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
ろ現実的な労苦と渋みに対し、鍛錬されることがあまりに足りなかった。浄瑠璃と共に報
徳教的なものを教えられたらどうだったろう。二宮金次郎的の空気は私たちにはなかった....
「いわゆる「反省」は我々を救うか」より 著者:岸田国士
合は、さういう社会的な原因もないとは云えないが、それよりも、やはり、三百年来の道
徳教育が、民衆の日常生活のなかへ、一つの簡易な作法の形式としてこれを植えつけたの....
「教育の目的」より 著者:福沢諭吉
て妨《さまたげ》あることなかるべし。 そもそも今日の社会に、いわゆる宗旨なり、
徳教なり、政治なり、経済なり、その所論おのおの趣《おもむき》を一にせずして、はな....
「徳育如何」より 著者:福沢諭吉
革命あり。この革命は諸藩士族の手に成りしものにして、その士族は数百年来周公孔子の
徳教に育せられ、満腔《まんこう》ただ忠孝の二字あるのみにして、一身もってその藩主....
「読倫理教科書」より 著者:福沢諭吉
要を取捨《しゅしゃ》して、学生のために一書を編纂せしむべしとのことなり。然るに、
徳教書編纂の事は、先年も文部省に発起して、すでに故森大臣の時に(明治二十年)倫理....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
題は年ごろのこどもをもつ親のなやみのタネになっております。政府はこれにたいして道
徳教育とか教育基本法の改正とかいっておりますが、それより必要なことは、政治の根本....
「古事記」より 著者:太安万侶
れが、傳えごとによつて過去のことを知ることを述べ、續いて歴代の天皇がこれによつて
徳教を正したことを述べる。太の安萬侶によつて代表される古人が、古事記の内容をどの....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
道元禅師という昔の禅宗の高僧は「この感覚」の自由さえみとめられました。仏教が「道
徳教」でない証拠です。生きた、自由な、真実な軌道に添っている宗教である証拠です。....
「淡窓先生の教育」より 著者:中谷宇吉郎
務として国民に負わすべきものではないという理念のもとに、義務教育では、主として道
徳教育が施されている。そして初めの六三で、人間教育を一応すませたところで、高等お....