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忌日
「忌日〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
忌日の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
のです。あたかもこの日はお二代台徳院殿様、すなわち前将軍|秀忠《ひでただ》公のご
忌日に当たるところから、例年のごとく将軍家の増上寺お成りがあるため、お城内も沿道....
「新生」より 著者:島崎藤村
声を立てようとした。
三十二
八月に入って泉太や繁の母親の
忌日《きにち》が来た。学校も暑中休暇になった二人の子供は久し振《ぶり》で父と一緒....
「少年時代」より 著者:幸田露伴
れだけは毎日欠かさず御茶を供えて、そらから御膳をあげるので、まだ此上に先祖代々の
忌日命日には仏前へ御糧供というを上げねばならぬ。これはたとえ味噌汁に茄子か筍の煮....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
五月も十日過ぎのことで、安政大獄当時に極刑に処せられたもののうち、あるものの
忌日がやって来るような日を迎えて見ると、亡き梅田雲浜、吉田松陰、頼鴨崖なぞの記憶....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
に、百三人は十六日に打ち首になった。そうこうしていると、ちょうど十七日は東照宮の
忌日に当たったから、御鬮を引いて、下回りの者を助けるか、助けないかの伺いを立てた....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
う吉左衛門はもはやめったに母屋の方へも行かず、村の衆にもあわず、先代の隠居半六が
忌日のほかには墓参りの道も踏まない人である。めずらしくもこの吉左衛門が代を跡目相....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
趣意を和尚に告げ、青山小竹両家の改典のことを断わった。なお、これまで青山の家では
忌日供物の料として年々|斎米二斗ずつを寺に納め来たったもので、それもこの際、廃止....
「家」より 著者:島崎藤村
が幅広な軸に成って掛っている。それは竹翁と言って、橋本の薬を創めた先祖で、毎年の
忌日には必ず好物の栗飯を供え祭るほど大切な人に思われている。その竹翁の精神が、何....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
に居らるる故か久しく忘れられていた。ただ旧門下で小謡組であった佐藤文次郎氏が毎年
忌日忌日に参詣するほか、藤原宏樹氏、柴藤精蔵氏が時折参詣するばかりで、正月の元旦....
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
て見てくれる気はねえものか知らんて! お会式 毎年陰暦十月十三日、祖師日蓮の
忌日を卜して執行の法会をお会式とはいい、宗徒は又おめいこうとて本山に参籠する。池....
「怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
から、飯島平左衞門様も目をしばたゝき、 平「感心な奴だ、手前ぐらいな年頃には親の
忌日さえ知らずに暮らすものだに、親はと聞かれて涙を流すとは親孝行な奴じゃて、親父....
「獄中消息」より 著者:大杉栄
念深くつきまとうようなことがあっては、何もかもおジャンだ。 来月の初めには父の
忌日が来る。いっさいの儀式は止せ。寺へ金を送ったりするのも無用。 僕の出る日に....
「大正女流俳句の近代的特色」より 著者:杉田久女
ケートな性格、あくどい悩や執着のないさらりとした明るさを見る。 春菊にみより少き
忌日かな 和香女 ひとりすむや行水の間を閂かけて すみ女 共にさみしい....
「鯉」より 著者:岡本綺堂
放された。鯉はさのみ弱った様子もなく、洋々と泳いでやがて水の底に沈んだ。 仏の
忌日にいい功徳をしたと、三右衛門はよろこんで帰った。しかも明くる四日の午頃に、そ....
「宝永噴火」より 著者:岡本かの子
、一つもこれといって形や言葉となって現われずに過ぎた。慧鶴は頼まれた橘屋の祖先の
忌日に読経に行き、食事の施しを受けて帰った。娘はこういう青年僧の訪問のときに母と....