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応仁
「応仁〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
応仁の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鯉魚」より 著者:岡本かの子
、娘はやっと元気を恢復《かいふく》した様子、そこで娘の身元ばなしが始まりました。
応仁《おうにん》の乱は細川勝元、山名宗全の両頭目の死によって一時、中央では小康を....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
ったわけだ。 元来、織田家と朝倉家とは仲がわるい。両家とも欺波家の家老である。
応仁の乱の時、斯波家も両方に分れたとき、朝倉は宗家の義廉に叛いた治郎|大輔義敏に....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
た。 『読史余論』の著者新井白石が、そのなかで信長成功の理由を色々挙げたうちに、
応仁の乱後の人戦闘を好みて民力日々に疲れ、国財日々乏しかりしに備後守信秀|沃饒の....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
天下大乱の兆
応仁の大乱は
応仁元年より、文明九年まで続いた十一年間の事変である。戦争としては、....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
愛妻富子の美しい顔を一層美しく手入れさせたと一条兼良の手記にある。しかし間もなく
応仁の乱が起こり「なれや知る都は野辺の夕|雲雀あがるを見ても落つる涙を」と、飯尾....
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
。魔法修行のアマチュアは。 ある。先ず第一標本には細川|政元を出そう。 彼の
応仁の大乱は人も知る通り細川|勝元と山名宗全とが天下を半分ずつに分けて取って争っ....
「雪たたき」より 著者:幸田露伴
、はたきつけようかと、恐ろしい緊張を顎骨や爪の根に漲らせることを忘れぬであろう。
応仁、文明、長享、延徳を歴て、今は明応の二年十二月の初である。此頃は上は大将軍や....
「弓道中祖伝」より 著者:国枝史郎
にして歩み去った。 若い武士は唖然としたようであった。 時は文明五年であり、
応仁の大乱が始まって以来、七年を経た時であり、京都の町々は兵火にかかり、その大半....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
正月号に滝川政次郎氏の文章があるから、私がクダクダしく書くには及ばないでしょう。
応仁の乱に、山名宗全は西陣南帝を擁して北朝の天子をいただく細川方と戦ったが、西陣....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
なかった。かえって、そのむかしよりも禍いが大きくなって来たように見えた。 かの
応仁の戦乱を始めとして、それから元亀天正に至る百余年の間、日本国じゅうに起こった....
「サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
軒日録文正元年二月八日条には、有馬温泉場の坂の者の名も見え、大乗院寺社雑事記には
応仁・文明頃の奈良|符坂寄人の事を坂衆・坂座衆、或いは坂者などとも書いてある。 ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
その後千葉氏の内乱のため東荘へ下ったりしている頃尭孝・正徹ともに世を去り、その後
応仁乱(六十七歳)の始まるまで十数年はその円熟の時代である。門人に有名な連歌師|....
「エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
して、社会の上位に進んだものの多かるべきことは、今さら言うまでもない事実である。
応仁・文明以来戦国時代の状態は、前者に比して一層著しいものがあった。鎌倉以来の名....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
もので、その素性を尋ねたならば、実はどういう人の子だかよくは分らないのであった。
応仁、文明頃の奈良の大乗院尋尊僧正の述懐に、「近日は土民、侍の階級を見ざるの時な....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
)とある。 唱門師を大夫といった例は、古くは『経覚私要鈔』(『大日本史料』引)
応仁二年二月二十七日条に、「高台寺辺京の若大夫と申声聞|曲舞云云、三人同童也云云....