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恩徳
「恩徳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
恩徳の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「駆逐されんとする文人」より 著者:内田魯庵
に割いたなら、五六年間には相当な大きな仕事が出来る。我々は時間を徒費しつつ電車の
恩徳を難有がらなければならんのだ。 ▲そんなら電車に乗ってる間の時間を読書に善....
「旧藩情」より 著者:福沢諭吉
生計《せいけい》の見込なしとて、一概に擯斥《ひんせき》する者あり。一方は婚を以て
恩徳《おんとく》のごとく心得、一方はその徳を徳とせずしてこれを賤《いや》しむの勢....
「瘠我慢の説」より 著者:福沢諭吉
政治社外の高処《こうしょ》に仰《あお》ぎ奉《たてまつ》りて一様《いちよう》にその
恩徳《おんとく》に浴《よく》しながら、下界《げかい》に居《おっ》て相《あい》争《....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
うして今ロシアがやって居るような具合に少し機密費でも使って、かえってチベット人に
恩徳を被せ、貴族を籠絡して彼の政府の意向をして英国に帰服させるような手段を運らし....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
ニイは母親にあてて書いている、「伯爵がわれわれ兄弟のために親切を尽くしてくださる
恩徳については、どんな言葉でいい表わしてよいかわからないほどです。いずれにしても....
「三国志」より 著者:吉川英治
」 「いえ、袁紹の首一つをとるために、大乱の生じるのを怖れるからです。彼は平常、
恩徳を布き、門下には吏人も多く、国には財があります。袁紹|叛旗を立てたりと聞えれ....
「三国志」より 著者:吉川英治
ている折ですから、和睦の勅使を下せば、よろこんで承知するでしょう。――そしてその
恩徳は、自然、相国へ対して、帰服することとなって来ましょう」 「大きにもっともだ....
「三国志」より 著者:吉川英治
、苛烈な戦禍におびえさせることは好ましくありません。まず、四方に仁政を示し、徐々
恩徳をもって、民心を得ることを先とすべきでしょう。一方それがしから書簡をもって、....
「三国志」より 著者:吉川英治
地は、かつて関将軍が治め給うた領地でした。将軍の生けるうちすら、わたくしどもはご
恩徳を頌えて、家ごとに朝夕拝しておりました。いわんや今、神明と帰し給うをや」 ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
今年はもう十二、三年になる。しかし覚一はこれを自分の功とはせず、いつも将軍尊氏の
恩徳であるといった。また今もである。一同の墓拝がすむとそのことをるると述べて、あ....
「大谷刑部」より 著者:吉川英治
ッと肩を持ち直した。 「つい昨日は、諸国の大小名も、武士も、下民も、故太閤殿下の
恩徳を称え、今日は、そのように、徳川内府ならでは、夜も日も明けぬというような――....
「遠野物語」より 著者:柳田国男
々にあり。この長者は昔の金山師なりしならんか、このあたりには鉄を吹きたる滓あり。
恩徳の金山もこれより山続きにて遠からず。 ○諸国のヌカ塚には多くはこれと同じき長....