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「意識一般〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

意識一般の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
デカルト哲学について」より 著者:西田幾多郎
あろう。実在は我々の自己の存在を離れたものではない。然らばといって、たといそれが意識一般といっても主観の綜合統一によって成立すると考えられる世界は、何処《どこ》....
思想としての文学」より 著者:戸坂潤
ての人物の種類をつくしている。こういう過剰意識を整理するためには、作家はカントの意識一般のような「私」(『紋章』に於ける)や、四人称というような文学的な非人称判....
辞典」より 著者:戸坂潤
我はまだ真理の定立という大切な任務を与えられていない。カントはそこで、この意識を意識一般にまで改造する。蓋し意識一般とは、客観的な真理を(夫は併しカントにとって....
新感覚論」より 著者:横光利一
、新感覚は、その触発体としての客観が純粋客観のみならず、一切の形式的仮象をも含み意識一般の孰れの表象内容をも含む統一体としての主観的客観から触発された感性的認識....
哲学入門」より 著者:三木清
ならぬ故に、主観は単に個人的なものであることができない。そこでカントは認識主観を意識一般と考えた。意識一般というのは超個人的な主観、超個人的な我のことである。そ....
マルクス主義と唯物論」より 著者:三木清
題であったのであるが、この関心からそれまでは「存在の領域」であったところの意識を意識一般の概念のもとに「主観」として解釈し直した。それとともに主観はもはや存在の....
日本の民衆と「日本的なるもの」」より 著者:戸坂潤
自我から文芸的認識が自分の手段として抽出したものだった筈だからだ。 この自我は意識一般や純粋我などではない。今までのブルジョア認識論は文芸的(乃至芸術的)認識....