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慈覚大師
「慈覚大師〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
慈覚大師の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
玄は審しそうに、 「それが何んとか致したかな?」 「宇治拾遺物語の百六十七節に『
慈覚大師|纐纈城に入り給ふ事』こういう項目がございます」 「纐纈城の物語? おお....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
雷が樹を打ち折るを漢代の俗天が竜を取るといったと見え、『法顕伝』に毒竜雪を起す、
慈覚大師『入唐求法記』に、竜闘って雹《ひょう》を降らす、『歴代皇紀』に、伝教《で....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
五大院の安然に就いては、「本朝高僧伝」には次の如くに記してあります。 「初め
慈覚大師に随つて学び、後、辺昭僧正に就いて受く、叡山に五大院を構へ屏居《へいきよ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
山の乾の方、日本ではこの比叡山の乾、即ち当山、大原来迎院を即ち魚山というのです、
慈覚大師|直伝《じきでん》、智証大師|相承《そうじょう》の日本の声明の総本山なの....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
三月の十五日には、わざわざ江州の西教寺に詣でて、上人から十念を授けられ、その本尊
慈覚大師の作と称する阿弥陀如来を拝して、浅からぬ随喜|結縁《けちえん》の思いをな....
「ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
して崇められたが、後、五台山に入って修道中、人のために殺されたというのであった。
慈覚大師の『入唐求法順礼記』に「到。」こう書いてある。最澄は延暦二十四年六月に帰....
「平泉紀行」より 著者:村山俊太郎
上り下りの武士の 心にしみつうす墨の花 辨慶堂、薬師堂を経て関山中尊寺に詣る。
慈覚大師の開基なり 古へを関とめけりなみちのくの 関山寺の松に風吹く なお行....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
を盛られて殺されてしまった。その死ぬる時に五台山停点普通院の壁上に左の手記あるを
慈覚大師が発見せられた、「日本国内供奉翻経大徳霊仙元和十五年九月十五日到此蘭若」....
「法然行伝」より 著者:中里介山
「こんどの御経衆に東寺の僧を召し出される風聞がございますが、そもそもこの御経衆は
慈覚大師が初めてとり行われた法則でございます。他門の僧を召さるることはよろしくご....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
歌や、薬師寺に伝わっている仏足石歌碑の歌や、百石讃歎の歌やのように短歌であるが、
慈覚大師あたりから後では梵讃漢讃の形にならって、七五調の長大な和讃が生れてくる。....