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「慙愧〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

慙愧の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
取らねばならぬからだ。また虎が餌獣を打たんとて跳びついて仕損じたら周章《あわ》て慙愧《はじい》り二度試みて見ずに低頭して去るとある。支那にも『本草』にその物を搏....
婦人の創造力」より 著者:宮本百合子
のは天皇制による野蛮な警察だということがありありわかった。若し正直な人達であれば慙愧《ざんき》に堪えないでしょう。ああいう風にして立派な人を死なせたその力はわれ....
今日の生命」より 著者:宮本百合子
の文章が新聞にいくつも載った。 執筆した人々は、今日生存しつづけている。どんな慙愧《ざんき》の念をもって、昨年十月初旬、治維法の撤廃された事実を見、初めて公表....
一九四六年の文壇」より 著者:宮本百合子
しみと憤りにたえがたいところがあろうと思います。作家としての目の皮相さについて、慙愧《ざんき》に耐えないのが本当です。自分としての動機が純であればあるほど、この....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
しがっているすべてが、スペインにとっては誇よりは寧ろ悲劇であるということを知って慙愧を感じます。日本について、大部分の外国人の評価が、赤面ものであるように、スペ....
現代忍術伝」より 著者:坂口安吾
けれども、正宗菊松の顔、形を見れば分ることだが、泣かんばかりに悄然とうなだれて、慙愧の念、身も細るほど全身に現れている。半平の奇怪な言葉に、ひとすじの偽りもない....
安吾巷談」より 著者:坂口安吾
人のやむを得ぬ方法のみとは限らないものだ。戦争中に反戦論を唱えなかったのは自分の慙愧するところだなどゝ自己反省する文化人が相当いるが、あんなときに反戦論を唱えた....
田舎医師の子」より 著者:相馬泰三
まりに浅墓すぎ、あまりに分別が無さ過ぎ、あまりに意地っ張り過ぎていて、一つとして慙愧の種でないものはなかった。 「これから先もやはりこの通りであるかも知れない。....
二十一」より 著者:坂口安吾
ある。ところが辰夫は看護婦云々のことなどは問題にせず、打ちのめされた如くに自卑、慙愧、ものの十分ぐらい沈黙のあげく、自分の至らぬ我儘から君を苦しめて済まぬ、と言....
瘠我慢の説」より 著者:福沢諭吉
ん》なき折柄《おりから》、また時としては旧時の惨状《さんじょう》を懐《おも》うて慙愧《ざんき》の念を催《もよ》おし、一喜一憂一哀一楽、来往《らいおう》常《つね》....
瘠我慢の説」より 著者:榎本武揚
、衆賢之批評に当る者あらず。不計も拙老先年之|行為に於て御議論数百言御指摘、実に慙愧に不堪ず、御深志|忝存候。 行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず....
キャラコさん」より 著者:久生十蘭
ヌさんをにらみつけて、立ちはだかっていた、自分のすさまじいようすを恥辱《はじ》と慙愧《ざんき》の感情で思いかえす。 キャラコさんは、手も足も出ないような心の無....
白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
たんです――いや、どうも、若気の過失、やがての後悔、正面、あなたと向い合っては、慙愧のいたりなんですが、私ばかりではありません。そのころの血気な徒は、素人も、堅....
食道楽」より 著者:村井弦斎
これでは共公事業の発達せんのも無理はないね」とまたもや例によっての長広舌、小山も慙愧《ざんき》に堪《た》えず「モー分ったよ、沢山だ」 第五十九 似非《えせ》風流....
三国志」より 著者:吉川英治
って相見るなど、水くさいじゃないか」 曹操は、手をとって起した。許攸はいよいよ慙愧して、 「僕は半生を過まった。主を見るの明なく、袁紹ごときに身をかがめ、忠言....