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「慚〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

慚の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
星座」より 著者:有島武郎
く兄の憐みを惹《ひ》くものなきにしもあらじ。しかも古人の蹟を一顧すれば、たちまち汗《ざんかん》の背に流るるを覚ゆ。貧窮《ひんきゅう》、病弱《びょうじゃく》、菲....
義血侠血」より 著者:泉鏡花
意は踴躍《ゆうやく》して渠を励ませり。渠は疾呼の譴責《けんせき》に遭《あ》いては悔《ざんかい》し、また踴躍の教峻を受けては然諾せり。良心と悪意とは白糸の恃《た....
婦系図」より 著者:泉鏡花
掻巻の袖を辿って来て、和かに面を撫でる。 それを掻払うごとく、目の上を両手で無に引擦ると、ものの香はぱっと枕に遁げて、縁側の障子の隅へ、音も無く潜んだらしか....
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
度めぐりて黄銅のときとなりぬ。 心荒々しく武器を取る手もいと疾く、 されどなお無の心はなかりき。恥知る心、規律と正義の 失せ果てしは四度目の世となりしとき、 ....
春の潮」より 著者:伊藤左千夫
。どうしたって省作を憎むのは憎む方が悪いとしか思われぬ。省作は到底春の人である。愧不安の境涯にあってもなお悠々迫らぬ趣がある。省作は泣いても春雨の曇りであって....
耽溺」より 著者:岩野泡鳴
どは全く厭になってしまった。 僕は独り机に向い、最も不愉快な思いがして、そぞろ愧の情に咽びそうになったが、全くこの始末をつけてしまうまでは、友人をも訪わず、....
唄立山心中一曲」より 著者:泉鏡花
にもなりませんでした。ああ、全く魔のごとき残虐にも、美しいものは滅びません。私は愧します。しかし、貴下と縫子とで、どんなにもお話合のつきますように、私に三日先....
白金之絵図」より 著者:泉鏡花
切って、ひらりと翻った。古今の手練、透かさぬ早業、頭を倒に、地には着かぬ、が、無な老体、蹌踉となって倒れる背を、側の向うの電信柱にはたとつける、と摺抜けに支え....
南地心中」より 著者:泉鏡花
、神経のとげとげした、狼の手で掴出された、青光のする腸のように見えて、あわれに無な光景だっけ。」 「……へい、そうですかね、」と云った男衆の声は、なぜか腑に落....
沼夫人」より 著者:泉鏡花
、ひたひたと身に着いた霞のような衣をぞ絡う。 と見ると、乳の辺、胸へ掛けて、無や、颯と赤くなって、垂々と血に染まった。 枕に響いた点滴の音も、今さらこの胸....
星女郎」より 著者:泉鏡花
地に二心を持って、山霊を蔑にした罪を、慇懃にこの神聖なる古戦場に対って、人知れず謝したのであるる。 立向う山の茂から、額を出して、ト差覗く状なる雲の峰の、い....
些細な事件」より 著者:井上紅梅
いつもわたしの眼の前に浮んで、時に依るとかえっていっそう明かになり、わたしをして愧《ざんき》せしめ、わたしをして日々に新たならしめ、同時にまたわたしの勇気と希望を増進する。 (一九二〇年七月)....
河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
きものの人十倍、心のひがむを、疾なりとて、神にも人にも許さるべしや。)と追つけ、愧後悔をするのです。 能登では、産婦のまだ七十五日を過ぎないものを、(あの姉....
式部小路」より 著者:泉鏡花
平生に似ず言もしどろで、はじめの気焔が、述懐となり、後悔となり、懺悔となり、愧となり、果は独言となる。 体温器がばたりと落ちた。 かけ忘れて寝着の懐に....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
る文人が或る雑誌に頼まれて寄稿した小説が頗る意に満たないツマラヌ作であるを頻りに愧しながらも、原稿料を請取ると大いに満足して直ぐ何処へか旅行しようと得意になる....