慶長[語句情報] » 慶長

「慶長〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

慶長の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
文章」より 著者:芥川竜之介
つき》に一篇ずつは短い小説を発表して来た。その一つ、――サン・クリストフの伝説を慶長版《けいちょうばん》の伊曾保物語《いそぽものがたり》風にちょうど半分ばかり書....
忠義」より 著者:芥川竜之介
れいぶん》があったのは、数えるまでもない。その弟の主水重昌《もんどしげまさ》は、慶長十九年大阪冬の陣の和が媾《こう》ぜられた時に、判元見届《はんもとみとどけ》の....
東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
からいっても滅多に無い道筋だと思うのですが、しかしそれより自分は五十三次が出来た慶長頃から、つまり二百七十年ばかりの間に幾百万人の通った人間が、旅というもので甞....
箕輪心中」より 著者:岡本綺堂
のお持ち物でもお前さまの御自由には相成りませぬと言い切った。その鎧は御先祖さまが慶長元和|度々《どど》の戦場に敵の血をそそいだ名誉のお形見で、お家《いえ》に取っ....
恩を返す話」より 著者:菊池寛
。家中の若者が一座して、武辺の話が出る時は、必ず島原一揆から例を引いた。ことに、慶長元和《けいちょうげんな》の古武者が死んで行くに従って、島原で手に合うた者が、....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
立てや吹き返しには金銀の金物をまぜてありました。金物と云ってもやはり本物で、金は慶長小判、銀は二朱銀を用いていましたから、あの小判が一枚あればなぞと涎を流して覗....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
の里見の家がほろびる前後のことである。忠義の先代義康は安房の侍従と呼ばれた人で、慶長八年十一月十六日、三十一歳で死んでいる。その三周忌のひと月かふた月前のことで....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
|肩衣をつけ、金の星兜の上を立烏帽子白妙の練絹を以て行人包になし、二尺四寸五分順慶長光の太刀を抜き放ち、放生月毛と名づくる名馬に跨り、摩利支天の再来を思わせる恰....
応仁の乱」より 著者:菊池寛
の橋より内侍所の燈火を望み得たとは、有名な話である。 畏れ多い限りではあるが『慶長軍記抄』に依れば「万乗の天子も些少の銭貨にかへて宸筆を売らせ給ひ、銀紙に百人....
馬妖記」より 著者:岡本綺堂
ている。隆景は筑前の名島に住んでいて、世に名島殿と呼ばれて尊敬されていたが、彼は慶長二年に世を去って、養子の金吾中納言秀秋の代になると、間もなく慶長五年の関ヶ原....
怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
命だけは取留めていたという」 「その石見守は疾くに死去なされました筈」 「おう、慶長十八年四月に頓死したが、本多上野介正純が石見守に陰謀が有ったと睨んで、直ちに....
人狼」より 著者:岡本綺堂
昭全 村の娘 おあさ、おつぎ 第一幕 一 桃山時代の末期、慶長初年の頃。秋も暮れかかる九月なかばの午後。 九州、肥前国。島原半島に近き山....
小坂部伝説」より 著者:岡本綺堂
磨国に流され、姫山――むかしは姫路を姫山と云った。それが姫路と呼びかえられたのは慶長以後のことで、むかしは土地全体を姫山と称していたのを、慶長以後には土地の名を....
帯の巾が広すぎる」より 著者:上村松園
只今では帯といっておりますが、慶長時代では巻物と申しておったようでございます。絹羽二重は二つ割りにして、又支那....
空中征服」より 著者:賀川豊彦
万人いるだろうか? 」 市長はそれに答えて言うた。 「五六万人でしょうね」 「慶長の頃では、五十万と号せるね」 大塩平八郎も感心している。 「よく気が揃うた....