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懐う
「懐う〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
懐うの前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「縷紅新草」より 著者:泉鏡花
途中からえらい降りで。」…… …………………… …………………… 辻町は夕立を
懐うごとく、しばらく息を沈めたが、やがて、ちょっと語調をかえて云った。 「お米坊....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
すると、留守中の来訪者の名刺の中に意外にも長谷川辰之助の名を発見してあたかも酸を
懐うて梅実を見る如くに歓喜し、その翌々日の夕方初めて二葉亭を猿楽町に訪問した。 ....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
物的の見方であります。 事実は両方を兼ねているでしょう。私たちは贈り手の好意を
懐うことなしにこの柿を手に執ることは出来ず、さればといって掌に載っているものは山....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
の事の事実である事を確かめて真に心を痛めました。その夜思わず「チベット獄裡の友を
懐う」という歌が出来ました。
聞くにもつらしいふもうし、まして筆もてしるさむ....
「わかれ」より 著者:国木田独歩
び第二のオーシスに行きあうことなく、ただ空しく地平線下に沈みうせぬるかの真清水を
懐うのみ、げにしかり、しかしてわれ今、しいて自らこのオーシスに分かれんとす、しい....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
も散ることであろう、というので、逝く歳月の迅きを歎じ、亡妻をおもう情の切なことを
懐うのである。 この楝の花は、太宰府の家にある楝であろう。そして、作者の憶良も....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の武将、政治家の中の最も天才であり、同時に最大革命家であるところの織田信長の昔を
懐うて、泣かないはずはありません。 そこで、道庵先生は今し(米友及び熊の子と程....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
とき実隆の年|甫《はじ》めて六歳。その後は専ら母親の手塩に育った。故に実隆は父を
懐うよりも母を慕う情が深く、父の墓所二尊院に参詣するよりも、しの坂の母の墓に謁す....
「新女大学」より 著者:福沢諭吉
絶ゆる期《ご》なしと雖も、冥土|人間《じんかん》既に処を殊《こと》にすれば、旧を
懐うの人情を以て今に処するの人事を妨ぐ可らず。一瞥心機を転じて身外《しんがい》の....
「魚玄機」より 著者:森鴎外
とは、この詩を見ても推知することが出来る。しかしその形骸が女子であるから、吉士を
懐うの情がないことはない。ただそれは蔓草が木の幹に纏い附こうとするような心であっ....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
月三日に梅浦精一に従学した。 この年六月七日に成善は名を保と改めた。これは母を
懐うが故に改めたので、母は五百の字面の雅ならざるがために、常に伊保と署していたの....