成島[語句情報] » 成島

「成島〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

成島の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
ヰタ・セクスアリス」より 著者:森鴎外
ないような物だった。その頃は新聞に雑録というものがあった。朝野《ちょうや》新聞は成島柳北《なるしまりゅうほく》先生の雑録で売れたものだ。真面目な考証に洒落《しゃ....
」より 著者:島崎藤村
った。直樹の父親もよく細い日記をつけた。これはそう細いという方でもないが、何処か成島柳北の感化を思わせる心の持方で、放肆な男女の臭気を嗅ぐような気のすることまで....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
歳の時である。次いで寧親も八年四月に退隠して、詩歌|俳諧を銷遣の具とし、歌会には成島司直などを召し、詩会には允成を召すことになっていた。允成は天保二年六月からは....
二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
ろう。 今日では新聞紙の発行が一つのビジネスであるのを何人も怪まないであろう。成島柳北や沼間守一が言論の機関としていた時代と比べて之を堕落と云うものあらば時代....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
くて汚ない構えである。侮《あなど》り切っていきなり玄関から応接を頼むと、東京では成島柳北《なるしまりゅうほく》時代に現われた柳橋《やなぎばし》の年増芸者《としま....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
屋白粉というものをつくって売り出すような事をしたものである。 話が前後したが、成島柳北の『柳橋新誌』の第二篇は、明治七年に出た。これは柳暗のことを書いたもので....
」より 著者:森鴎外
行ったって、向うでは着られないそうだ」 「そうかなあ。いつか花月新誌で読んだが、成島柳北も横浜でふいと思い立って、即坐に決心して舟に乗ったと云うことだった」 「....
円朝花火」より 著者:正岡容
く沢村田之助《きのくにや》そっくりの美しい顔立ちを嬉しく浮き上がらせている女は、成島柳北《なるしまりゅうほく》が「柳橋新誌」に艶名《えんめい》を謳われた柳橋のお....
上野」より 著者:永井荷風
図書館長に任ぜられ、明治十九年十二月三日享年六十三で歿した。秋坪は旧幕府の時より成島柳北と親しかったので、その戯著小西湖佳話は柳北の編輯する花月新誌の第四十四号....
夏の町」より 著者:永井荷風
《にじょう》ほどに書いたものが、今だに自分の手篋《てばこ》の底に保存されてある。成島柳北《なるしまりゅうほく》が仮名|交《まじ》りの文体をそのままに模倣したり剽....
向嶋」より 著者:永井荷風
した。建碑について尽力した人の重《おも》なるものは、その時には既に世を去っていた成島柳北《なるしまりゅうほく》と今日なお健在の富商大倉某らであった事が碑文に言わ....
申訳」より 著者:永井荷風
る。されば寛政以降漢文の普及せらるるに及んで、寺門静軒は江戸繁昌記を著し、踵いで成島柳北は柳橋新誌を作った。京伝一派の蒟蒻本は文化年代に夙《はや》く其跡を絶って....
手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
めて入念であります。見る人は誰も感心するでありましょう。 米沢から遠くない所に成島と呼ぶ窯場があります。鉄釉の飴色や海鼠色で鉢だとか片口だとか甕だとかを焼きま....
濹東綺譚」より 著者:永井荷風
詩集には※上漁謡と題せられたものがある。文化年代のことである。 幕府瓦解の際、成島柳北が下谷|和泉橋通《いずみばしどおり》の賜邸《してい》を引払い、向島|須崎....