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「戦後派〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

戦後派の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
五〇年代の文学とそこにある問題」より 著者:宮本百合子
四九年度の文学現象の特質は、このつくられた恐慌の裏づけぬきに観察されない。「所謂戦後派と言われたヨーロッパ的小説方法の実践者の運動が、出版景気の減退に伴って不利....
現代忍術伝」より 著者:坂口安吾
い。社員ひとしく心をうごかしているうちに、わけても半平と才蔵が御執心なのである。戦後派の面々は思い患うような手間のかかったことはしない。友達の思惑に気兼ねをする....
戦後新人論」より 著者:坂口安吾
うと思う。 一朝一夕で訓練できないのは話の泉で、堀内敬三先生の如きは、まさしく戦後派新人の明星であろう。よくまあ御存知になっている。あのメンバーは、日本歴史は....
安吾巷談」より 著者:坂口安吾
なことをやってみせようというユーモアあふるるコンタンは珍重するに足る。慶賀すべき戦後派健全風景で、ダイヴィングがはじまるや、見物衆、 「わア。ストリップよか、エ....
安吾巷談」より 著者:坂口安吾
ても、むしろ私には、山際にナイフを突きつけられて金を強奪された三人の旦那の方が、戦後派的ではないかと思うのである。 大の男が三人もいる自動車の中へ、ナイフを持....
百万人の文学」より 著者:坂口安吾
ろう。 高級をもって任じる批評家ほど、作品と読者の魂の結合に無理解なものだ。「戦後派賞」などがその好例で、あの作者の未来のことはとにかく、目下手習いの作品だ。....
街はふるさと」より 著者:坂口安吾
きかされているようである。パンパンが遊びにくる。泊って行く。アベコベだ。しかし、戦後派の神話的な現実が実存しているかも知れないので、長平も思い余った。 「君、パ....
我が人生観」より 著者:坂口安吾
及ばぬ、という意見に全員一致していたからである。 私が意外の感にうたれたのは、戦後派賞という戦後派の人を選者にした賞で、島尾君が賞をうけたのは、それはそれでよ....
我が人生観」より 著者:坂口安吾
沙汰されて居る様に、僕等の世代ゼネレーションと云うものは「アプレゲール」俗に云う戦後派ですが、今度の犯行に関し僕等が特別アプレ的だったと見られるのは不愉快です」....
光は影を」より 著者:岸田国士
前の年代と真喜の年代と、そんなに考えがちがつて来たかねえ。やつぱり、お前なんか、戦後派の仲間入りはできないとみえるな」 「えゝ、えゝ、戦後派どころですか。あたし....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
変形した同じ心象風景であったろう。 私は声楽家の山本篤子さんに依頼して、大阪の戦後派の(悪い意味ではなく、むしろアベコベの意味の)ソウソウたる代表的なお嬢さん....
安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
ない。内外の学者文士、評論家に由って私の人間味を忌憚なく縦横に評論して戴きたい。戦後派諸人の反省する所となり、人道の扶植に寄与するあらば幸甚である。或人は「恋は....
安吾人生案内」より 著者:坂口安吾
てもらいたいものだ。しかし思うに、桜井さんは諸般の依頼条件から考えて、写真の主を戦後派と見ての推断ではないかと思う。そして、そのようにして推断し、誤りがなかった....
明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
思考力を失わせようという作戦のことだ。 この作戦にかけては、戦前派では木村が、戦後派では升田が大家のようなことを云われている。しかし、私の見たところでは、木村....
牛鍋からすき焼へ」より 著者:古川緑波
ここは、関西風で、醤油ッ辛いワリシタの、牛鍋気分とは縁が遠い。これだの、その他、戦後派の店が幾つかあるが、すし屋だの、支那料理屋に比べれば、スキヤキの数は全く少....