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「戦陣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

戦陣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
如是我聞」より 著者:太宰治
の花形と、ご当人は、まさか、そう思ってもいないだろうが、世の馬鹿者が、それを昔の戦陣訓の作者みたいに迎えているらしい気配に、「便乗」している者たちである。また、....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
だが、病弱で国内の群雄すら圧服することが出来ないので、弟謙信わずかに十四歳にして戦陣に出で、十九歳にして長尾家を相続し、春日山城に拠り国内を鎮定し、威名を振った....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
へた事や、当時から槍は三間柄が有利であるとの見解を持って居た事や、更に其頃次第に戦陣の間に威力を発揮して来た鉄砲の稽古に熱心であった事などを見ると、筑紫の坊さん....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
銃器の前には、如何に無力であるかを、長篠の役は示して居るのである。 織田徳川の戦陣が整うのを見て、十九日、勝頼も軍評定をした。自ら曰く、「総軍をして滝川を渡り....
碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
は険要であるから、某快く一戦して明軍と雌雄を決する所存である。渡海以来の某は日夜戦陣に屍を暴すをもって本意として来た。生きて日本へ帰る事など曾て思った事もない。....
運命」より 著者:幸田露伴
を見るや、愴然として之を壮とし、涙下りて曰く、臣|少きより軍に従いて今老いたり、戦陣を歴たること多きも、未だ嘗て此の如きを見ざるなりと。水滸伝中の人の如き成をし....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
に実に伊達家の二大人物であった。其の成実を強要して一旦にせよ人質に取った氏郷は、戦陣のみでは無い樽俎《そんそ》折衝に於ても手強《てごわ》いものであった。 其年....
ジーキル博士とハイド氏の怪事件」より 著者:佐々木直次郎
色の棺衣《かんおおい》のような霧が空一面に垂れ下っていた。しかし風が絶えず、この戦陣を張った水蒸気を、攻めて追い散らしていた。だから、馬車が街から街へとゆらゆら....
五月の唯物観」より 著者:寺田寅彦
。それが下駄を片手にぶらさげて跣足で田の畦を逃げ廻るのを、村のアマゾン達が巧妙な戦陣を張ってあらゆる遁げ路を遮断しながらだんだんに十六むさしの罫線のような畦を伝....
神話と青春との復活」より 著者:豊島与志雄
行と行動との紛乱に悩んでいた。そして他の一部から、所謂報告文学がもたらされ、殊に戦陣からのそれがもたらされた。 この報告文学を軽視してはいけない。我国は徐々に....
風と光と二十の私と」より 著者:坂口安吾
等は私の家へ二三日泊り、ガチャガチャ食事をつくってくれたり、そういう彼等には全く戦陣の影がある。まったく野戦の状態で、野放しにされた荒々しい野性が横溢しているの....
渡舟場」より 著者:豊島与志雄
れ……。それに似た心境でいたいと願いながら、俺はどうしてもそうなれない。三ヶ年の戦陣生活の後、心身を休める閑静な環境を希求して、それが得られないからであろうか。....
紫の壜」より 著者:豊島与志雄
がじりじりと引きつけられてゆくような、そういう感じのする不安なのだ。――私は嘗て戦陣で、いろいろな死体の側で時間を過したことがあった。然しその時は何の不安も恐怖....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
に、 之了。則徳丸ニ申付云云。 とある。彼らは平常の雑役や土木工事のみならず、戦陣に際して陣夫にも役せられたのであった。 『雑事記』の右の文(文明十一年十一月....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
一部日本人の非道義に依り支那大衆の敵愾心を煽った点にある。「派遣軍将兵に告ぐ」「戦陣訓」の重大意義もここにありと信ずる。 北清事変当時の皇軍が如何に道義を守っ....