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戯作
「戯作〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
戯作の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
度を隠そうとしたこともある。
しかし公衆は欺かれても、彼自身は欺かれない。彼は
戯作《げさく》の価値を否定して「勧懲《かんちょう》の具」と称しながら、常に彼のう....
「開化の良人」より 著者:芥川竜之介
《ね》を聞きながら、しばらく浅酌《せんしゃく》の趣を楽んでいると、その中に開化の
戯作者《げさくしゃ》のような珍竹林《ちんちくりん》主人が、ふと興に乗って、折々軽....
「世相」より 著者:織田作之助
風俗壊乱」の理由で闇に葬られるかも知れないと思ったが、手錠をはめられた江戸時代の
戯作者のことを思えば、いっそ天邪鬼な快感があった。デカダンスの作家ときめられたか....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
仕方が無かったのである。 斯ういう生活に能く熟している渠等文人は、小説や院本は
戯作というような下らぬもので無いという事が坪内君や何かのお庇で解って来ても、社会....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
迦八相記』(倭文庫)『室町源氏』なども、ついにはかえり見られなくなってしまった。
戯作者の殿りとしては、仮名垣魯文と、後に新聞記者になった山々亭有人(条野採菊)に....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
になることがございます。現に今晩も狂言作者で名高い河竹其水(黙阿弥の俳名)さん、
戯作で売り出しの鈍亭魯文先生なぞがお見えになって居ります。この先生方もわたくし共....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
の役より蔵前の札差しなどと、吉原へ行って花魁を買ったり、蜀山人や宿屋飯盛などと、
戯作や詩文の話をしたりして、暮らす日の方が多いのだ。ところで丸田屋は俳人なので、....
「戯作者」より 著者:国枝史郎
ねのご用の筋は? とこう一つゆきやしょうかな」 「は、その事でござりますが、手前
戯作者志願でござって、ついては厚顔のお願いながら、ご門下の列に加わりたく……」 ....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
。これがまた定って当時の留書とかお触とか、でなければ大衆物即ち何とか実録や著名の
戯作の抜写しであった。無論ドコの貸本屋にも有る珍らしくないものであったが、ただ本....
「曲亭馬琴」より 著者:邦枝完二
で、正月とは思われない暖かさが、万年青《おもと》の鉢の土にまで吸い込まれていた。
戯作者《げさくしゃ》山東庵京伝《さんとうあんきょうでん》は、旧臘《くれ》の中《う....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
お別れの皮肉というよりも江戸ッ子作者の最後のシャレの吐きじまいをしたので、化政度
戯作文学のラスト・スパークである。緑雨以後真の江戸ッ子文学は絶えてしまった。 ....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
舎の新作は忽ち空前の人気を沸騰し、堂々たる文学士が指を小説に染めたという事は従来
戯作視した小説の文学的位置を重くもし、世間の好奇心を一層|喚びもした。その頃まで....
「明治の文学の開拓者」より 著者:内田魯庵
。その重々しい文学士が下等新聞記者の片手間仕事になっていた小説――その時分は全く
戯作だった――その
戯作を堂々と署名して打って出たという事は実に青天の霹靂といおう....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
していた当時の小説界も龍渓鉄腸らのシロウトに新らしい油を注ぎ込まれたが、生残った
戯作者の遺物どもは法燈再び赫灼として輝くを見ても古い
戯作の頭ではどう做ようもなく....
「芸術は革命的精神に醗酵す」より 著者:小川未明
ったからである。そして、芸術が享楽階級の用立とされていたからでもある。徳川時代の
戯作者は、その最もいゝ例である。 人情の機微を穿つとか、人間と人間の関係を忠実....