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「所載〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
所載の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「河童」より 著者:芥川竜之介
です。――
詩人トック君の幽霊に関する報告。(心霊学協会雑誌第八千二百七十四号
所載)
わが心霊学協会は先般自殺したる詩人トック君の旧居にして現在は××写真師....
「生まれいずる悩み」より 著者:有島武郎
ほほえめよかし‥‥僕はただそう心から祈る。 (一九一八年四月、大阪毎日新聞に一部
所載)....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
高見国をも、当時の蝦夷蟠居の域なる北上川下流地方に擬定せるなり(拙著『読史百話』
所載「日高見国と日高見川」参照)。されば、平安朝以後の人士はもちろん、鎌倉・室町....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
以て独逸人の前で演説したのは余を以て嚆矢とすというような論鋒で、一々『国民新聞』
所載の文章を引いては、この処筆者の風※彷彿として見はると畳掛けて、暗に私に諷てつ....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
に鹿の頭を刻したものの存在することを黒石の佐藤耕次郎君が報告せられた。これは前号
所載「北海道発見の石面刻文」の末に附記しておいたところであるが、土地の人はそれを....
「憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
のである。(俗説には峰延上人を鑑真だと云っているが、古くその説はない。) 本号
所載宮武省三君の憑物雑話の中に、南洋にも全くこれと同じ様な行事のあることが見えて....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
)の文字を訓読して或いはナカマ(文字に中間・仲間・半間など書く)という。郷土研究
所載柳田國男君の「鉢叩きと其の杖」の文中に、広島県特殊部落|調を引いて、 広島県....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
朝式左右均斉の伽藍配置をなしておらぬ事情も思い合わされる。 本項はかつて本誌
所載「斑鳩宮及び斑鳩寺に関する雑考」中にその大要を述べたところであるが、今、さら....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
、他の地方ではオシラ神というものを、オコナイ様というとの事が見えていた。文藝春秋
所載柳田君の「オシラ神の話」にも、真澄翁の「月の出羽路」に、このオシラ神をオコナ....
「世界の「料理王逝く」ということから」より 著者:北大路魯山人
美食国らしい振舞いではないか」 右は「料理王逝く」として去る四月二十八日の東朝
所載の記事。いかにもその料理王なるひとの生涯は思い見てうらやましきことだ。 ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
は全く覆されてしまった。『群書類従』に入れられた『金槐集』には、終に一本及び印本
所載とある五十二首の歌が附けてあるが、定家所伝の本にはそれがない。大体の違いはそ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
史』第三巻第六号〈俗法師考の二〉=一九二〇年六月) 声聞師の何者なるかは、前号
所載「声聞師考」においてほぼその要を述べておいた。彼らは概括して声聞師と呼ばれて....
「特殊部落ということについて」より 著者:喜田貞吉
るは、何人も異議なきことであらねばならぬ。旧時のエタが特に疎外せられたのは、前号
所載の「エタと皮多」に論じた如く、彼らが肉を喰い皮を扱うの皮多であったが為である....
「濫僧考」より 著者:喜田貞吉
「民族と歴史」八巻五号
所載「旃陀羅考」中にちょっと述べておいた濫僧の事を、今少し精しく考証してみる。「....
「ベートーヴェンの生涯」より 著者:片山敏彦
公表せらる。複製は一九〇九年十一月十五日付 Courier musical 紙上
所載) 一八二七年――ベートーヴェンの死面、ダンハウザー採型。(ボン市ベートーヴ....