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「所領〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

所領の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
俊寛」より 著者:芥川竜之介
とへ送って来た。鹿瀬の荘は少将の舅《しゅうと》、平《たいら》の教盛《のりもり》の所領の地じゃ。その上おれは一年ほどたつと、この島の風土にも慣れてしまった。が、忌....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
若僧で、いろいろ詳しく話してくれた。その話に拠ると、その当時のこの磯部には浅野家所領の飛び地が約三百石ほどあった。その縁故に因って、大野は浅野家滅亡の後ここに来....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
義は相模守忠隣のむすめを妻にしていた関係上、舅の家がほろびると間もなく、彼もその所領を召し上げられて、伯耆の国に流罪を申付けられ、房州の名家もその跡を絶ったので....
黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
しまうと、俯瞰した風景が全然風趣を異にしてしまうのだ。ちょうどそれは、マクベスの所領クォーダーのあった――北部|蘇古蘭そっくりだと云えよう。そこには木も草もなく....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
生みたる果報めでたき大将である」と言われた。 だが此時毛利は芸州吉田を領し、其所領は、芸州半国にも足らず、其の軍勢は三千五、六百の小勢であった。これに対して、....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
に生れたことなぞは忘却の体である。かの三浦の如きは、桶狭間の勇士|故の井伊直盛の所領を望んだり、更に甚しくは義元の愛妾だった菊鶴と云う女を秘かに妻にしたりしなが....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
地分配の際にも、秀吉は敢て争わなかったのである。そればかりではない。勝家が秀吉の所領江州長浜を、自らの上洛の便宜の故を以て強請した時も、秀吉は唯々として従って居....
山崎合戦」より 著者:菊池寛
の旧領がほしいと哀願したところ、三年待てと云った。ところがその旧領は、現在光秀の所領なので、三年の裡には、自分の位置が危いことを知って、反逆の意を堅めたと云う説....
真田幸村」より 著者:菊池寛
「父安房守に劣るまじく」と云って賞めているのから考えても、昌幸の人物が窺われる。所領は少かったが、家康などは可なりうるさがっていたに違いない。 秀忠軍が、上田....
磯部の若葉」より 著者:岡本綺堂
の好い若僧で、色々詳しく話してくれた。その話に拠ると、その当時この磯部には浅野家所領の飛び地が約三百石ほどあった。その縁故に因って大野は浅野家滅亡の後ここに来て....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
正の年給、一人は一万五千ポンド(わが金およそ九万八千円)、一人は一万ポンド、英国所領地にある僧侶の数は、教正六十五人、平僧三千四百人なり。 英国中にある寺院の....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
。家屋は一般に低く、二階造りを限りとす。この島はアフリカの属島なるも、スペインの所領にして、市街は全くスペイン式なり。住民の多数はスペイン人の子孫なるべきも、混....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
に伝えられるようになってからは、その子孫は歌の家として立つということが同時に和歌所領世襲の条件になったので、一層事は真剣になってきた。京極家や冷泉家やの分立を極....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
ガラ(輩)など、「カラ」という語を仲間の意に用いている。大化以前には国造県主等の所領の外に、天皇直轄御領の公田すなわち大御田があって、その農民すなわち公民を大御....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
の横行等あり」とみえているところである。これらの地方は東大寺の北門外で、古くその所領に属しておった。応仁・文明頃の川上の唱門も、おそらく同寺使役の人夫であったの....