手の者[語句情報] » 手の者

「手の者〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

手の者の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
ると、他愛もない児童のように鞍壺《くらつぼ》に躍り上って欣《よろこ》んだ。 先手の者が馳せ帰って、 「青木新兵衛大坂城の一番乗り仕って候」と注進に及ぶと、忠直....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
お当日は、江戸城三十六見付総ご門に、月番大名火消し、ならびにお城詰めご定火消しの手の者がずらずらと詰めかけて、お成りからご還御までの間のお固めを承り、沿道にはま....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
に来るのかと、わたしも少し驚いていると、それを察したように、彼は笑った。 「山の手の者が川向うまで頭を刈りに来る。わたくしのように閑人《ひまじん》でなければ出来....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
すが、その時に住職が手早く仏像だけをぬき出して自分の袂《たもと》へ隠したのを、相手の者は気がつかなかったと見えます」 「その落着《らくぢゃく》はどうなりました」....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
は知りませんが、わたし達が子どもの時分にもまだあの辺をどんどんと云っていて、山の手の者はよく釣りに行ったものです。しかし滅多に鯉なんぞは釣れませんでした」 「そ....
俊寛」より 著者:菊池寛
|言三|言言葉を返すと、俊寛はすぐかっとなって、成経に掴みかかろうとして、基康の手の者に、取りひしがれた。 それから後、幾時間かの間の俊寛の憤りと悲しみと、恥....
鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
東池の辺で出会った。 桑名藩より、徳川殿|今度勅命により召寄せらるるにより、先手の者上京する由を告げたが、薩兵聴かず、問答を重ぬる裡、薩州より俄に大砲を打ち出....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
た。わけても恐ろしいはその笑いで、中間性の陰々たる笑いが一度彼の口から出るや、相手の者は男女を問わずきっとやられるということなども、庄三郎は聞いていた。 ある....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
た。其中に西村左馬允という者があって、大の男の大力の上に相撲は特更《ことさら》上手の者であった。其男が勘当を赦《ゆる》されて新に召還《めしかえ》されたばかりの次....
」より 著者:菊池寛
った。 そのころ、畿内を分領していた筒井、松永、荒木、和田、別所など大名小名の手の者で、『鎗中村』を知らぬ者は、おそらく一人もなかっただろう。それほど、新兵衛....
『井伏鱒二選集』後記」より 著者:太宰治
、這うようにして女房の許に帰り、そうして女房に怒られて居るものである。 旅行上手の者に到っては、事情がまるで正反対である。 ここで、具体的に井伏さんの旅行の....
世界怪談名作集」より 著者:岡本綺堂
人たちに対して危害を加えはしませんでしたが、その風雨のすさまじいことは大変で、相手の者はみな彼の前に縮みあがってしまいました」 それがすべて事実であることは、....
雪の宿り」より 著者:神西清
、この倉の中味を説き聴かせ、宥めて帰すほかはあるまいとわたくしは心づきまして、一手の者の背後に離れてお築山のほとりにおりました大将株とも見える髯男の傍へ歩み寄り....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
部屋まで、電光のように走って行った。やっぱりその部屋も空であった。そうして憎い相手の者も、それに劣らぬ早足をもって、一瞬に位置を変えたとみえ、西側の廊下一帯には....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
ともおぼえぬが……。」 「お屋形の者ではござりませぬ。桃井か、山名か、塩冶を追っ手の者と見申した。」と、采女も小声で答えた。 いずれにしも、こんなところで彼等....