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手控
「手控〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
手控の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「画室談義」より 著者:上村松園
、夏は階下の涼しい木蔭の方が制作し易いからです。 画室の至るところ、この隅には
手控えの手帖が数冊、ここには子供ばかりをスケッチしたノートがかためて置かれてあり....
「乱世」より 著者:菊池寛
う報をきくと、同文の嘆願書を隣藩亀山藩へ送った。 二十一日、鎮撫使から御汰沙の
手控えが、亀山藩の手を通して、桑名藩にいたされた。文面は、次の通りであった。 先....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
立たねえ。箱を潰すのはワケはねえが、中味が何だか解らねえからな、そいつもちょっと
手控えだ。……ところで鍵はなかったのかい?」 25 「ええ、それがなかったんです....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
。私が出府をしたと聞いたら真っ先に玄卿めが用心をしよう。連れて紋兵衛も帯刀様も、
手控えするに違いない。そうなったらお終いだ。陰謀の手証を掴むことができない」 「....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
》は爾今《じこん》無用にされたしとのことに候《そうろう》条、そのほう吟味中ならば
手控えいたすべく、右伝達いたし候。 松平伊豆守 近藤右門へ」 意外にも吟味....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
のならない世の中になりました。」と隠居は言葉をつづけて、「大店は大店で、仕入れも
手控え、
手控えのようです。おまけに昼は押し借り、夜は強盗の心配でございましょう。....
「技術の哲学」より 著者:戸坂潤
。資本主義諸国に於ける技術家と教育とに取っては、資本主義諸国に於てのような制限や
手控えは現在少しも必要ではない。だからここでは労働者と技術家との普通見受けられる....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
う処によると、容疑者凡てを正直に検挙すれば、留置場に這入り切らない程出て来るから
手控えているというのだが、噂によれば×××自身にも手を延ばそうとすれば延びそうだ....
「程よい人」より 著者:豊島与志雄
額はもっと殖すことが出来た。然し十万円程度に止めた。図に乗ってはいけないと、自ら
手控えたのである。つまり、私としては、程よく自分の分を守ったつもりである。 右....
「趣味の遺伝」より 著者:夏目漱石
全滅、不成功に終る。残念※」残念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助けるための
手控《てびかえ》であるから、毫《ごう》も文章らしいところはない。字句を修飾したり....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
に地べたに投げ出す。 ようやく南組の同心がやって来て、あっさりと検視をすませ、
手控をとると庄兵衛に目礼して引取って行った。 入りちがいに、ひょろ松がやって来....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
った。宣王すなわち斉とともに魯を攻めた。梁の恵王常に趙を撃たんとしたが楚を畏れて
手控えいた、今楚が魯を事として他を顧みる暇《いとま》なきに乗じ兵を発して趙の都邯....
「女性の歴史の七十四年」より 著者:宮本百合子
もっていると思う。 大体福沢諭吉が益軒の「女大学」を読んで、それに疑義を抱き、
手控えをこしらえはじめたのは彼の二十五歳の年、大阪から江戸へ出た時代の事である。....
「三つの「女大学」」より 著者:宮本百合子
っているのである。 そもそも福沢諭吉が、「女大学」を読んで、それに疑問を抱き、
手控えをはじめたのは、彼が二十五歳で大阪から江戸へ出て来たときからのことであった....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
のために、病い田の話という長い講演をしたのが、その半月ほど後のことであった。その
手控えは保存してあるのだが、次々と付け加えたいことが多くなって、もう簡単にはまと....