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攘夷論
「攘夷論〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
攘夷論の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「近時政論考」より 著者:陸羯南
大革新大破壊の前後には国中の士論ただ積極と消極の二派に分裂するに過ぎず。いわく
攘夷論、いわく開港論、二つのものは外政上における常時の論派なり。いわく王政復古、....
「老中の眼鏡」より 著者:佐々木味津三
取的な開港主義が度を越えているとなして憤死したと言う説、外国奉行であり乍ら実際は
攘夷論者であったがゆえに、任を負いかねて屠腹したと言う説、それらのいろいろの憶説....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
わり。こないだも江戸|土産を吾家へ届けてくれた飛脚がありましてね、その人の話には
攘夷論が大変な勢いだそうですね。浪人は諸方に乱暴する、外国人は殺される、洋学者と....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ける真木和泉の自刃も、京都における佐久間象山の横死も、皆その年の出来事だ。名高い
攘夷論者も、開港論者も、同じように故人になってしまった。その時、三人の話は水戸の....
「空想日録」より 著者:寺田寅彦
かに西洋人とちがった特徴をもっているそうである。言わば違った動物なのである。昔の
攘夷論者は西洋人を獣類の一種と思っていた。今の米国人の中にでも黒人は人間と思って....
「一九二五年より一九二七年一月まで」より 著者:宮本百合子
ては榎本武揚の事があった故か仙台の浪人が多く居た。一人、四国の漢学者の浪人アリ。
攘夷論の熾なとき故一つ殺してやろう、その前に何というかきいてやれと会った。ニコラ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
峻烈である。
女と通じたというだけの理由を以て、切腹させられたものもある。その
攘夷論《じょういろん》があまり激烈に過ぐるという廉《かど》を以て、腹を切らせられ....
「話に聞いた近藤勇」より 著者:三田村鳶魚
を道具にして、自分の考えを世の中に行おうという腹なのです。それからまた、当時尊王
攘夷論、これは幕臣のうちにも、諸大名の手を借りずに幕府自身攘夷を決行すれば、それ....
「鯉」より 著者:岡本綺堂
が伊豆の下田へ乗り込んで来るという騒ぎで、世の中は急にそうぞうしくなる。それから
攘夷論が沸騰して浪士らが横行する。その
攘夷論者には、勿論まじめの人達もあったが、....
「学問の独立」より 著者:福沢諭吉
し。 過日、『時事新報』の社説にもいえる如く(一月一一日社説)、我が開国の初め
攘夷論の盛なる時にあたりても、洋学者流が平生より西洋諸国の事情を説きて、あたかも....
「瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
ときは、ただこれ攘夷一偏の壮士輩と認めざるを得ず。然らば幕府の内情は如何というに
攘夷論の盛なるは当時の諸藩に譲らず、否な徳川を一藩として見れば諸藩中のもっとも強....
「志士と経済」より 著者:服部之総
両借りた。一定俸禄に衣食する貧乏軽士に開港後の物価騰貴がことさらこたえて、ために
攘夷論が流行したという説は、『徳川|慶喜《よしのぶ》公伝』で渋沢栄一《しぶさわえ....
「尊攘戦略史」より 著者:服部之総
を目的としないで幕府威嚇の手段になるという見解が見られるが、事実当時の最も過激な
攘夷論は藩士および浪士団の奉ずるところであったのにたいして、三郎自身はこの時の東....