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改む
「改む〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
改むの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
を陶方へ注進したのは勿論である。 弘治元年九月陶晴賢(隆房と云ったが、後晴賢と
改む)二万七千余騎を引率し、山口をうち立ち、岩国永興寺に陣じ、戦評定をする。晴賢....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
て、竹千代(弘治二年末義元の義弟、関口|親長の女をめとる、後元康と称し更に家康と
改む)の運命が開れようとは当人も想いつかなかったであろう。 松平元康が、どんな....
「運命」より 著者:幸田露伴
て異にする勿れ。天下に布告して、朕が意を知らしめよ。孝陵の山川は、其の故に因りて
改むる勿れ、天下の臣民は、哭臨する三日にして、皆服を釈き、嫁娶を妨ぐるなかれ。諸....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
時すでに原稿の訂正を行なったのであるが、その後も版を重ねるにつれて、なお、幾多の
改むべき個処を見いだした。今回の改版を機会に、さらに第一部の訂正を思い立ったのも....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
。 ◇弟 梅津九郎助。荒巻軍平養子となり伊右衛門という。後軍治と改めその後行度と
改む。明治九年三月二十日卒す。行栄という。行年五十四歳。 元来梅津家は前記の通....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
ころはまた新しき誡なり。 ――ヨハネ第一書第二章より―― 版を
改むるに際して この書は発行以来あまねく、人生と真理とを愛する青年層の人々に読....
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
に住み相模扇ヶ谷に転ず、上杉家に仕う、上杉家滅ぶるにおよび姓を扇に改め後|青木に
改む、……青木竜平――長男|千三……チビ公と称す、懦弱取るに足らず……」 なべ....
「男女関係について」より 著者:大杉栄
という立派な亭主のあることも忘れていた訳でなく。(三行削除) もっとも、過って
改むるに憚ることなかれ、とも言う。もし君が、世間での評判のように、きわめて動揺し....
「関牧塲創業記事」より 著者:関寛
繹れば、多くは自ら招くものなれど、事|茲に至りては自ら其非を覚ると雖ども、其非を
改むる力なく、或は自暴自棄となりて益悪事を為すあり、或は空く悲歎して世を恨み人を....
「番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
よく響いた。 「のう、播磨。この頃の不行跡、一々にやかましゅうはいうまい。きっと
改むるに相違ないか」 「は」 播磨の返事は唯それだけであった。 「心もとない返....
「迷信解」より 著者:井上円了
礼式中に加えて差し支えなかろうと思う。されど、あまりはなはだしき不合理なることは
改むるがよろしい。また普通の場合にも、死と同音なるかどにて四の数を忌むがごときは....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
島千太、いずれも好評。新七は三代目を門弟の竹柴金作に譲りて、おのれは古河黙阿弥と
改む。時に六十六歳。 ○十二月、柳亭燕枝、春風亭柳枝、桂文治らが、春木座にて落語....
「「特殊部落」と云う名称について」より 著者:喜田貞吉
本編は上掲諸編の記事と重複するところことに多きを校正の際心付きしも、今さら
改むる能わず。幸いに概論に対する下手なる詳説として、寛宥あらんことを乞う。(貞吉....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
。(上略)宿村、産所村とて国々の内所々にある事也。然れども後世に及んで村名をつけ
改むる故今審ならず。漸くに存して宿村・産所村を称する者あり。宿村といふは一村格別....
「味を知るもの鮮し」より 著者:北大路魯山人
明治初年以後曲げられて来た日本料理は、もうそろそろここらで反省し、根本から了見を
改むべきで、例えば、世上往々中毒事件を惹起している惨事の如きは、料理関係者の堕落....