教導[語句情報] »
教導
「教導〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
教導の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「自叙伝」より 著者:大杉栄
戦争が始まって、初めて青雲の志を抱いて、お寺を逃げ出して上京した。 そしてまず
教導団にはいって、いったん下士官になって、さらにまた勉強して士官学校にはいった。....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
して、本多豊後守広孝、松平|主殿助伊忠、奥平監物貞勝等と共に兵三千、菅沼新八郎を
教導として進発した。松山越の観音堂の前で各々下馬して、甲冑を荷って嶮所をよじたが....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
よって、お前も迷いを起してはならないと、宿に泊って居りましても臥床る迄は貴方の御
教導、あゝ有難いお話で、大きに悟ることもありました、美作まで送って遣ろうとおっし....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
以上、神孫の義務を尽くして根本を保全しなければならぬ。その義務を尽くすために神道
教導職の一端に加わるのは、だれがこれを片手落ちと言えよう。今や御一新と言い、社会....
「柿の種」より 著者:寺田寅彦
* 親類のTが八つになる男の子を連れて年始に来た。 古い昔の
教導団出身の彼は、中学校の体操教師で、男の子ばかり九人養っている。 宅へ行って....
「半島一奇抄」より 著者:泉鏡花
携わり、風雅を楽む、就中、好んで心学一派のごとき通俗なる仏教を講じて、遍く近国を
教導する知識だそうである。が、内々で、浮島をかなで読むお爺さん――浮島爺さんとい....
「連環記」より 著者:幸田露伴
ただ一条の大路の砥の如く通ずるを信ずるに至ったでもあったろう。仏乗の研修は寂心の
教導のみならず、寂心の友たり師たる恵心の指示をも得て、俊敏鋭利の根器に任せて精到....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
g との間にはおのずからの推移があるが、従って例えば文芸は必ずしも娯楽ではなくて
教導の機能を果すし、評論も評価であると共に
教導でなければならないが、文叢――それ....
「辞典」より 著者:戸坂潤
及び注解を含み、第二に評論、批判及び紹介を含み、第三に文芸を含む。第一は主として
教導の機能を、第二は主として評価の機能を、第三は主として娯楽(Unterhalt....
「少年連盟」より 著者:佐藤紅緑
富士男は一枚の原稿を、ゴルドンの前においた。それには十五少年の学級と、受け持ち
教導者などがしるされてあった。 十歳組――第一級 次郎(日) ドール(伊) ....
「雪の透く袖」より 著者:鈴木鼓村
古びた手帳を繰ると、明治|廿二年の秋、私は東北の或聯隊に軍曹をして奉職していたことがあった。丁度その年自分は
教導団を卒業した、まだうら若い青年であった。 当時、その聯隊の秋季機動演習は、....
「「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
め給うことが、万古不易の一大信条となっていたのである。さればその頑冥にして、到底
教導し難きものは、時に或いは兵を加えて、これを征伐し給うのやむなき場合も少くはな....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
蛮を代表するなり。ゆえに、日本国をして欧米同等の文明国となさんと欲せば、まず人を
教導するをもって本職とする僧侶を教育せざるべからず。もし人ありて、わが国の僧侶は....
「特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
、通例甚だしくエタを排斥するのが事実であった。 この際に当って、献身的に彼らの
教導に従事したものは、肉食妻帯をすら忌まなかった一向宗、すなわち浄土真宗の僧徒で....
「融和促進」より 著者:喜田貞吉
なる罪人でも救いとって往生せしめるという一向宗の信徒となったがために、この宗旨の
教導から、堕胎や間引きをしなかったという理由もありましょう。ともかく世間の人口が....