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「数寄屋橋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

数寄屋橋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
い縁側にとぐろを巻きながら、しきりと例のように無精ひげをまさぐっていると、突然|数寄屋橋《すきやばし》から急使があって、旅のしたくをととのえ即刻ご番所まで出頭し....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
やつだ。一生の思い出に、あっしもちょっくら使いますかね」 夜ふけをいといもなく数寄屋橋《すきやばし》へころころしながら行ったようでしたが、案ずるよりもたやすく....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
二丁ひっぱって帰りましたので、ただちに右門は息づえをあげさせると、まず第一着手に数寄屋橋《すきやばし》お番所へ駕籠先を向けさせました。 4 行ってみ....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
してあるにちがいないと思われましたので、右門は気がつくと同時に、一刻を争いながら数寄屋橋《すきやばし》へ駆けつけました。 と――はたしてあった。三個とも厳重に....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
くるんだよ」 「なるほど、やることが理詰めでいらっしゃらあ。じゃ、辰ッ、おめえは数寄屋橋《すきやばし》のほうを洗ってきなよ。おいら呉服橋の北町番所へ行ってくるか....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
んじゃな」 「へえい、さようで……ですから、目のくり玉をでんぐらかえして、すぐと数寄屋橋《すきやばし》のお奉行所へ駆け込み訴訟をしたんですが、なんでございますか....
自叙伝」より 著者:大杉栄
神髄』はもう十分に僕の頭を熱しさせていたのだ。 雪のふるある寒い晩、僕は初めて数寄屋橋の平民社を訪れた。毎週社で開かれていた社会主義研究会の例会日だった。 ....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
に見るだけで通り過ぎたが、帰り道は午後の日盛りになるので、築地から銀座を横ぎり、数寄屋橋見附をはいって有楽町を通り抜けて来ると、ここらが丁度休み場所である。 ....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
行った。これを今日の道順で云えば、愛宕町から桜田本郷へ出て内幸町から日比谷公園、数寄屋橋から尾張町へ抜けそれをいつまでも東南へ進み、日本橋から東北に取り、須田町....
貞操問答」より 著者:菊池寛
子が、靴下を買うのにつき合ってから、ジャーマン・ベイカリで、一しょにお茶を飲み、数寄屋橋まで歩いて、別々の電車に乗り、美沢は本郷弥生町の家に帰って来た。 ささ....
銅銭会事変」より 著者:国枝史郎
は悠然と欄干を離れた。橋の袂に駕籠屋がいた。 「駕籠屋」と老武士はさし招いた。「数寄屋橋までやってくれ。うむ、行く先は北町奉行所」 すぐに駕籠は走り出した。 ....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
しかもこっそりと世の中に出たのである。 鶴見は中学に通うようになってから、毎日数寄屋橋をわたって、銀座|尾張町の四辻を突切って行く。そしてこんなことを思ってい....
年賀郵便」より 著者:岡本綺堂
ない。市内電車が初めて開通したのは明治三十六年の十一月であるが、それも半蔵門から数寄屋橋見附までと、神田|美土代町から数寄屋橋までの二線に過ぎず、市内の全線が今....
御堀端三題」より 著者:岡本綺堂
に見るだけで通り過ぎたが、帰り路は午後の日盛りになるので、築地から銀座を横ぎり、数寄屋橋見附を這入って有楽町を通り抜けて来ると、ここらが丁度休み場所である。 ....
越年」より 著者:岡本かの子
のか」 さっきの四人連れが後から様子を覗きにやって来た。加奈江は独りでさっさと数寄屋橋の方へ駆けるように離れて行った。明子が後から追いついて 「もっとやっつけ....