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数等
「数等〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
数等の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「早春」より 著者:芥川竜之介
》を綴《つづ》っている。こういう公園を散歩するのは三重子とどこかへ出かけるよりも
数等《すうとう》幸福といわなければならぬ。……
二時二十分! もう十分待ちさえ....
「十八時の音楽浴」より 著者:海野十三
うが、どうしてどうして、貴下は科学者だけなものですか。貴下は科学者であるよりも、
数等卓越した政治家なんです。ミルキ閣下などはそばへ寄れないくらいの偉人なんです」....
「地球発狂事件」より 著者:海野十三
るほど、人類が最も知能にすぐれてはいるが、この広大なる宇宙には、われら人類よりも
数等数十等高級な生物が棲息しているだろうことが容易に想像されるのだ。 そういう....
「深夜の市長」より 著者:海野十三
機嫌を露骨に面にあらわして、僕の前に四角な封筒をさし出した。 這入るときよりは
数等楽々と、丸の内の第十三号館の表に出た。 いま速水輪太郎からことづかった手紙....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
ある。 現代では人絹というものがある。人絹製の帯や襟巻などに、上等のものよりも
数等感心すべきさっぱりとした美しい柄を発見する。そして、幾百円の丸帯など見ると、....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
大坂の町人がそうだ。彼らは支配者には無抵抗に、自分の生活をたのしみ、支配者よりも
数等上の文化生活を送っていた。そして、支配者の方が町人文化に同化させられていたの....
「この握りめし」より 著者:岸田国士
意識の尊敬にはなつているが、増田自身の人物評価の標準からすれば、自分より彼の方が
数等上手だとは思いたくなかつた。それにしても、芸術家という資格と無関係ではないか....
「浮世絵画家の肉筆」より 著者:上村松園
浮世絵画家の筆は、やはり上木された結果のもの――すなわち錦絵になったものの方が、
数等結構なものに思えます。春信でも英之でも歌麿でも、どうもその肉筆物は錦絵で見る....
「周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
より借り受くるを例としたり。而して之を借り受くるには、紙片に借り受けたき器具名個
数等を記し置けば、穴の外に出しあり。之を返済する時も、穴の傍まで持ち行くを例とせ....
「美味放談」より 著者:北大路魯山人
ごろさんざん鴨を食ったあとで、一日かしわを食ってみた。すると、かしわの方が鴨より
数等美味かったので驚いた。これには鴨を食って損をしたような気がしたね。 だから....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
語りて曰く、日本人中、その従来の宗教家のこれをヤソ教者に比して、徳行、学識ともに
数等の懸隔あるを痛責して、日本将来の宗教はヤソ教を用うるにしかずと論ずるものあれ....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
園に遊ぶ。市中より五マイルあり。園内広きも熱帯植物のみ。豪州の植物園に比すれば、
数等を下る。ただ、パーム樹の両側に並立して、数丁の長さに及ぶもの、一種の趣を添う....
「融和促進」より 著者:喜田貞吉
かせて、ために世良田事件のような大破裂を引き起すにも至ったのです。いわんやさらに
数等の差別的観念のひどい関西地方において、その差別される者の蒙る苦痛がどんなに大....
「道は次第に狭し」より 著者:北大路魯山人
名画といえども、自分だけの価値を見出すことができる。しかし、絵が自分の鑑賞力より
数等上であれば、その美の全部を味わうことはできない。反対に自分の力がより上であれ....
「本所両国」より 著者:芥川竜之介
ようにペンを執っていたとすれば「大東京繁昌記」の読者はこの「本所両国」よりも或は
数等美しい印象記を読んでいたかも知れない。けれども「泰ちゃん」はどうしているであ....