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文の道
「文の道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
文の道の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「みちの記」より 著者:森鴎外
。 十八日、上田を発す。汽車の中等室にて英吉利婦人に逢う。「カバン」の中より英
文の道中記取出して読み、眼鏡かけて車窓の外の山を望み居たりしが、記中には此山三千....
「芭蕉について」より 著者:宮本百合子
の関係を見失った欽仰讚美の美文をつらねる流行をも生じた。私は俳諧の道にはよらず散
文の道をとおって、この芸術の大先達に近づいて見たいと思う。後年、芭蕉が芸術の完成....
「連環記」より 著者:幸田露伴
のみ事とする詞客に対するとはおのずから別様の待遇をなされたであろうが、それでも詩
文の道にかけては御尋ねの出るのは自然の事で、或時当世の文人の品評を御求めになった....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
しに拵《こしら》えたのが不足なぐらいなもんだ、押しも押されもしねえ十八文だ、十八
文の道庵は俺だ」 ちょうど米友が柳原河岸へ行ってしまった時分に、道庵先生は昌平....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
構え、 「誰だと思う、つがもねえ、江戸の下谷の長者町へ行けば、泣く子もだまる十八
文の道庵を見損って怪我あするな、当時、人を斬ることに於ては武蔵の国に近藤勇、薩州....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
つしてのけることも不思議ではない。道庵も多年この道で飯を食い、天下のお膝元で十八
文の道庵先生といえば、飛ぶ鳥を落したり、落さなかったりしているのですから、医学と....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
りました。天下の富豪たる鰡八大尽が、費用を惜しまずにやることですから、トテモ十八
文の道庵などが比較になるものではありません。 その園遊会の余興としては、決して....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
叫びつづけました、 「おいらの道庵先生――馬に乗った道庵先生、下谷の長者町の十八
文の道庵先生」 「もしもし」 「何だい」 「休んでござりまし、木曾お六|櫛《ぐし....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ぽっけにして、抛《ほう》りっぱなしにして置いてさ、他国者のこの道庵風情に――十八
文の道庵だよ、この十八文風情にお祭りをしてもらって、それを土地の者が珍しがるとい....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
なって、ひとり泥試合を演じつつある御当人とては、当時、下谷の長者町で有名な、十八
文の道庵先生その人であります。 「ああ深《ふけ》え! こいつはたまらねえ」 一....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
え歩きました。
私の「芭蕉」はニヤリとなさりそうですが、「俳諧の道によらず、散
文の道によって」(というのは私の文章よ)描き解剖したから、そうひどいものではあり....
「なよたけ」より 著者:加藤道夫
よ気に掛けるのは止めてもらおうじゃないか。学校がどうのこうのと云ったって、正しい
文の道はただ一つさ。小野ノ連にしろ、この僕にしろ、君とは一生を誓い合った同志じゃ....
「無月物語」より 著者:久生十蘭
で、父について敦賀に下っていたのが、京へ帰ることになり、敦賀ノ庄を出るときから泰
文の道連れになっていたのである。 肉置《ししお》きのいい、天平時代の直流のよう....