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「文七〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

文七の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
文七元結」より 著者:三遊亭円朝
一 さてお短いもので、文七元結《ぶんしちもとゆい》の由来という、ちとお古い処のお話を申上げますが、只今....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
り乱れながらしるされている粉のその足跡に、紛れもなく大小二つがあるので、一つは八文七分くらい、一つは九文三分くらい、まことに右門ならでは発見のできないくらいにか....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
」 「どれ、みせろ」 取りあげてみると奇怪です。男のはくべき黒のほうがわずか八文七分で、女のはくべき白のほうが、なんとばかでかい足のことには十文半もありました....
ふもれすく」より 著者:辻潤
お筆先で、正にあるべきはずなのが大地震だったりしては、一切は鮒が源五郎で、元結は文七であるより以上にたまらない、迷惑至極な道理である。 耶蘇は小便をしても手を....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
めに人質に取られて、腰繩で連れられて来た一人の飯田の商人もあった。浪士らは、椀屋文七と聞こえたこの飯田の商人が横浜貿易で一万両からの金をもうけたことを聞き出し、....
正義と微笑」より 著者:太宰治
た。いる、いる。市川菊之助、瀬川国十郎、沢村嘉右衛門、坂東市松、坂田門之助、染川文七、最高幹部が、一様に、にこにこ笑ってこっちを見ている。僕も笑った。 「何を読....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
屋をはじめ、小川町の「三久」、浜町の「京常」、池の端の「バイブル」、駒形の「小林文七」「鳥吉」などから頻りに西鶴の古本を漁り集めた。(この「鳥吉」は、芝居の本を....
老狸伝」より 著者:佐藤垢石
の裏側の利根の急流に臨んだ崖の上へは、県営の牢屋ができて、そこは明治初年に白銀屋文七が、遊人度胸を揮ったところであるが、その付近一帯が、また薄気味悪い場所となっ....
我が円朝研究」より 著者:正岡容
淵《しんけいかさねがふち》」並びに代表作「怪談乳房榎《かいだんちぶさえのき》」「文七元結《ぶんしちもっとい》」の諸篇を検討してみよう。いわゆる欧化時代の横顔《プ....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
痴居士が改作した「相馬平氏二代譚」を一番目に据えて、そのほかに「道成寺」と「雁金文七」という列べ方であった。俳優は団十郎を座頭として、その一門の権十郎、寿美蔵、....
日和下駄」より 著者:永井荷風
やくしどう》のほとりなる草庵の裏手、蓼《たで》の花穂《はなほ》に出でたる閑地に、文七《ぶんしち》というものが元結こぐ車の響をば昼も蜩《ひぐらし》に聞きまじえてま....
孔子」より 著者:和辻哲郎
意味で有益だろうと思われる。 付録 武内博士の『論語之研究』 わたくしは本文七八ページ以下に、武内博士の講演の要旨を自分の責任をもって引用しているが、その....
空中征服」より 著者:賀川豊彦
トライキ調査委員が調査会を開いた。委員の面々は末広二四雄、南唯次、島村信之、石岡文七、高藤邦松等、七人であった。 調査の結果委員は今しばらくの間傍観するという....
牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
日 成行村 借主 新九郎印 請人 弥右衛門印 証人 政五郎印 浜野村 同文七印 大久保村 三左衛門殿 永代証文之事 一、当御年貢差支、右年切質....