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文人
「文人〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
文人の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「奇遇」より 著者:芥川竜之介
王生の話を吹聴《ふいちょう》した。最後にその話が伝わったのは、銭塘《せんとう》の
文人|瞿祐《くゆう》である。瞿祐はすぐにこの話から、美しい渭塘奇遇記《いとうきぐ....
「駆逐されんとする文人」より 著者:内田魯庵
治外法権を目撃して人間の美性が電車に傷られつゝあるを感じる。 ▲門外から見ると
文人の生活は極めて呑気に思われる。ノホホンだの後生楽だの仙人だの若隠居だのという....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
国民之友」が漸く生れたばかりで、徳富蘇峰氏が志賀、三宅両氏と共に並称せられた青年
文人であった。硯友社は未だ高等学校内の少年の団体であって世間に顔出ししてなかった....
「画学校時代」より 著者:上村松園
というのは、新しくぼっこうした西洋画つまり油絵で、主任が田村宗立先生。 南宗は
文人画で主任が巨勢小石先生。 北宗は力のある四条派で、主任が鈴木松年先生という....
「梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
飛出したもので、丹波の荒熊だの、役者の紋当て謎解き、または袋の中からいろいろな一
文人形を出して並べ立てて、一々言い立てをして銭を貰うのは普通だったが、中には親孝....
「風波」より 著者:井上紅梅
女は真黒な干葉と松花のような黄いろい御飯を持ち出した。熱気がもやもやと立上った。
文人の酒船は河中を通った。文豪は岸を眺め大に興じた。「苦労も知らず、心配も知らず....
「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
ーライル(人)Carlyle. トーマス・カーライル。一七九五―一八八一。有名な
文人。 カロリン・フオックス(人)Caroline Fox. 一八一九―一八七一....
「三人の師」より 著者:上村松園
いし、いろいろと教わったものである。そのころ田能村直入だとか明治年間には南画――
文人画が隆盛だったので、百年先生もその影響をうけて南画風のところが多少あったよう....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
中にはまた、手捜りで指の上に書いたと見え、指の痕が白く抜けてるのもある。古今詩人
文人の藁本の今に残存するものは数多くあるが、これほど
文人の悲痛なる芸術的の悩みを....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
絵を見せてくれました。この老人は、桜戸玉緒といって桜花の研究者だったのです。また
文人画の修業に京都に来ているという画学生から、竹や蘭の絵をもらったこともありまし....
「余齢初旅」より 著者:上村松園
が、この土地はあまり寒くはなかった。西湖を船でゆくと、湖中に島があったり、島には
文人好みの亭があったりして、いろいろと風景に趣のあるよいところであった。蘇堤など....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
でございますと。大抵のお客は挨拶にマゴマゴしてしまった。その頃であった、或る若い
文人が椿岳を訪ねると、椿岳は開口一番「能く来なましたネエ」と。禅の造詣が相当に深....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
の湯の傍の簾藤という下宿屋に転じたのはその後であった。この簾藤時代が緑雨の最後の
文人生活であった。(小田原時代や柳原時代は文壇とはよほど縁が遠くなっていた。)緑....
「二葉亭四迷」より 著者:内田魯庵
の一人としてその遺編を整理した我らは今更に感慨の念に堪えない。二葉亭が一生自ら「
文人に非ず」と称したについてはその内容の意味は種々あろうが、要するに、「文学には....
「寺町」より 著者:岩本素白
、柳ちる夕暮の秋の町、三味線を抱えた意気な姿は、今もなおその時代の物を書く画家や
文人に使われて居るが、山の手の隅々には、昔こういう人々の住んで居た所が相応にある....