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文人画
「文人画〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
文人画の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「門」より 著者:夏目漱石
崖外《がけはず》れまで、縁に欄干《らんかん》のある座敷が突き出しているところが、
文人画《ぶんじんが》にでもありそうな風致を添えた。 「あすこが老師の住んでいられ....
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
《おはい》しにして、銘だけにしろと、筆を十文字に揮《ふる》って原稿紙の上へ下手な
文人画の蘭を勢よくかく。せっかくの苦心も一字残らず落第となった。それから裏を返し....
「田舎教師」より 著者:田山花袋
い壁や大きい栗の木や柿の木や井字形の井戸側やまばらな生垣からは古い縁側に低い廂、
文人画を張った襖などもあきらかに見すかされた。夏の日などそこを通ると、垣に目の覚....
「旅日記から」より 著者:寺田寅彦
分けている。雨が少し降って来た。柳のある土手へ白堊塗りのそり橋がかかってその下に
文人画の小船がもやっていた。なんだか落ち着いたいい心持ちになる。…… 夜|福州....
「画学校時代」より 著者:上村松園
というのは、新しくぼっこうした西洋画つまり油絵で、主任が田村宗立先生。 南宗は
文人画で主任が巨勢小石先生。 北宗は力のある四条派で、主任が鈴木松年先生という....
「カメラをさげて」より 著者:寺田寅彦
本人ぐらいいわゆる風景に対して関心をもつ国民が他にあるかどうか自分には疑わしい。
文人画の元祖である中華民国でも、美術の本場であるフランスでも、一般人士の間にはた....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
かった。ことに宗十郎の実弟には、評判の高い田之助《たのすけ》があったし、有明楼は
文人画伯の多く出入《でいり》した家でもあったので、お菊はかなりな人気ものであった....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
の栽培を頼んだ。これが現在中村屋のカリー・ライスに用いている米である。明治初年、
文人画家として令名のあった奥村晴湖女史は、古河藩の家老の娘として生れ、一生を美食....
「三人の師」より 著者:上村松園
いし、いろいろと教わったものである。そのころ田能村直入だとか明治年間には南画――
文人画が隆盛だったので、百年先生もその影響をうけて南画風のところが多少あったよう....
「高原の太陽」より 著者:岡本かの子
ょう」 青年は苦笑した。 早く死んだ青年の父は、天才の素質を帯びている不遇な
文人画家であった。その血筋は息子の青年に伝えられた。 「僕にはこれで高邁な美を望....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
絵を見せてくれました。この老人は、桜戸玉緒といって桜花の研究者だったのです。また
文人画の修業に京都に来ているという画学生から、竹や蘭の絵をもらったこともありまし....
「恐怖の季節」より 著者:三好十郎
知ったのは、彼が絵を描きはじめた時ではないかと私は思う。いや、ツクネいもなどの「
文人画」のことではない。コツコツと写生をしデッサンをしてタブロウをつついて描いた....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
》した梢《こずえ》に烏が群《むれ》をなして棲《とま》る時なぞは、宛然《さながら》
文人画を見る趣がある。これと対して牛込《うしごめ》の方を眺めると赤城《あかぎ》の....
「院展日本画所感」より 著者:和辻哲郎
に利用せられ復活せられて、ひたすら看衆の眼を奪おうと努めている。ある者は大和絵と
文人画と御舟と龍子との混合酒を造ってその味の新しきを誇り、ある者はインドとシナの....
「春の雁」より 著者:吉川英治
こらへ並び散らしてある他の鼈甲物だの、縞だの、珊瑚だの、香料だの、青磁だの、支那
文人画の小点などを、片手に提げられるくらいな包みに小ぢんまりと纏めてしまうと、 ....