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文吉
「文吉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
文吉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「放浪」より 著者:織田作之助
てとぼとぼ辛気臭かった。それで手違うて、順平は産れたけれど、母親はとられた。兄の
文吉は月たらずゆえきつい難産であつたけれど、その時ばかりは天気運が良くて……。 ....
「護持院原の敵討」より 著者:森鴎外
家から暇を取っているから、敵の見識人として附いて行っても好いと云うのである。名は
文吉と云って、四十二歳になる。体は丈夫で、渡者の仲間には珍らしい、実直なものだと....
「西洋人情話 英国孝子ジョージスミス之伝」より 著者:三遊亭円朝
橋の旦那ですねえ」 助「誰だ、何うして私を知っているだ」 床「私やア廻りに歩いた
文吉でございます」 助「おゝそうか、
文吉か、見違るように成った、もうどうも成らな....
「だるまや百貨店」より 著者:宮本百合子
ている。しかし、その谷中も実は金を出していたのではなく、谷中の親分で請負師の石島
文吉(これは昔トロッコを押していたのが、県の道路工事だの建築事業をうけおっては儲....
「暗黒公使」より 著者:夢野久作
が経過致しまして今月に相成りますと、J・I・Cの西部首領、K一号こと、仮名、中村
文吉が五日横浜入港の阿蘇丸にて来着致します旨を電照して参りました。それと同時に私....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
備門で習うた誰か英米人の読本にも類話があったが忘れしまった。その時講師たりし松下
文吉という先生がこの話は日本の馬琴の逸話と同類だといわれただけ記憶する。それは何....
「敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
何うせ旨くは治るめえ、汝が憎まれ口でも叩いて、何うせな家もうなやにゃア往くめえと
文吉も心配して居るが、何うも仕方がねえ、早く女親に別れる汝だから、何うせ運は好く....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
と名乗りかけたからとても、誰でもそれと知っている名前ではない。 「ナニ、目明しの
文吉――というのがお前の名か」 と、前なる黒頭巾が聞き耳を立てて、駄目を押すと、....
「松の操美人の生埋」より 著者:三遊亭円朝
物が証拠だ、麦藁細工の香箱が七つに御守がある、そりゃア村の多治郎、勘太郎、新藏、
文吉、藤治郎、多藏、彌五右衞門の七人に買って来て呉れてえ頼まれて、御守が七つ御供....
「甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
らにゃア、埒があかねえ。……お力、総司は俺が今夜斬るぜ!」 と、佐幕方の、目明
文吉に対抗させるため、長州藩が利用している目明の、縄手の嘉十郎は云って、植甚の方....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
なく甚八と千代が中心人物。そのほかには玉乃をはじめ、女中のギン、ソノという二人、
文吉、三次という下男、いずれもまだ当家に働いているばかりでなく、みんな志呂足の信....
「犬神娘」より 著者:国枝史郎
」 「そうともよ、見遁がせねえなあ」 「そいつを愚図愚図しているようなら、目明し
文吉の兄弟分、三条の藤兵衛とはいわせませんぜ」 「うるせえヤイ!」と藤兵衛という....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
今から十四、五年前に不遇の中に易簀してしまったが、今でもなお健在であるはずの市川
文吉と聯んで露語学界の二大先輩であった。この両川に二葉亭即ち長谷川を加えて露語の....
「周防石城山神籠石探検記」より 著者:喜田貞吉
で行った。旅館に尻を落ちつけたのはかれこれ十時であった。 当日同行者の一人柳川
文吉氏詩あり。 懐炉扶病壮心摧 踏破霜威幾崔嵬 千里検来千古跡 山神応是春風開 ....
「放浪」より 著者:織田作之助
てとぼ/\と辛気臭かった。それで手違うて順平は産れたけれど、母親はとられた。兄の
文吉は月たらずゆえきつい難産であったけれど、その時ばかりは天気運が良くて……。 ....