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「文科〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

文科の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
羅生門の後に」より 著者:芥川竜之介
ている雑誌「新思潮」に、一度掲載されたものである。 この期間の自分は、東京帝国文科大学の怠惰なる学生であった。講義は一週間に六七時間しか、聴きに行かない。試験....
大導寺信輔の半生」より 著者:芥川竜之介
いことには彼自身憤らずにはいられなかった。現にこう言う君子の一人――或高等学校の文科の生徒はリヴィングストンの崇拝者だった。同じ寄宿舎にいた信輔は或時彼に真事《....
路上」より 著者:芥川竜之介
な眼を曝《さら》していた。彼は色の浅黒い、体格のがっしりした青年だった。が、彼が文科の学生だと云う事は、制服の襟にあるLの字で、問うまでもなく明かだった。 彼....
西郷隆盛」より 著者:芥川竜之介
いない? 知っていなければ、いなくってもよろしい。君は大学の学生でしょう。しかも文科大学だ。僕も君も似たような商売をしている人間です。事によると、同業組合の一人....
将軍」より 著者:芥川竜之介
》は?」 「今日は河合《かわい》の――お父さんは御存知ないでしょう。――僕と同じ文科の学生です。河合の追悼会《ついとうかい》があったものですから、今帰ったばかり....
二つの手紙」より 著者:芥川竜之介
一郎《ささきしんいちろう》と申すものでございます。年齢は三十五歳、職業は東京帝国文科大学哲学科卒業後、引続き今日まで、私立――大学の倫理及英語の教師を致して居り....
海のほとり」より 著者:芥川竜之介
ど》いた原稿料の一枚四十銭だったのを思い出した。僕等は二人ともこの七月に大学の英文科を卒業していた。従って衣食の計《はかりごと》を立てることは僕等の目前に迫って....
寒の夜晴れ」より 著者:大阪圭吉
あった。かなり裕福な商家であったが、次男坊で肌合の変っていた三四郎は、W大学の英文科を卒えると、教師になって軽々諸国行脚の途についた。なんでも文学を志したという....
自叙伝」より 著者:大杉栄
本の名もよくは覚えていないが、たとえば大町桂月とか塩井雨江とかいうような当時の国文科出身の新進文学士や、久保天随とか国府犀東とかいう漢文科出身の新進文学士が、し....
駆逐されんとする文人」より 著者:内田魯庵
ようになるかも知れない。都会の咏嘆者が田舎の讃美者とならざるを得なくなる。 ▲文科大学の学費を調べたものを見ると、上中下の三級に分った下級の費用すらが年額六百....
獄中消息」より 著者:大杉栄
あるいは通訳の外にはほとんど役に立たぬ。もし語学に趣味があるようなら、早稲田の英文科でもやったらどうだろう。もっとも、必ずしも語学校は悪いと言うのではない。いず....
恒藤恭氏」より 著者:芥川竜之介
の三番室に一年の間居りし事あり。当時の恒藤もまだ法科にはいらず。一部の乙組即ち英文科の生徒なりき。 恒藤は朝六時頃起き、午の休みには昼寝をし、夜は十一時の消灯....
森先生」より 著者:芥川竜之介
或夏の夜、まだ文科大学の学生なりしが、友人山宮允君と、観潮楼へ参りし事あり。森先生は白きシャツ....
二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
時は消え入りたいような気持がした。 その時私より三、四十分も遅れて大学の古典漢文科の出身だというYが来問した。この人の口から日本将来の文章という問題が提起され....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
に文明の種が移植されて、いまやこの西の国に多く文明の花が開いている。) 午後、文科大学に至り、教授アンブロセチ氏の案内を得て、各教室をはじめ、図書室、博物室等....