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文芸協会
「文芸協会〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
文芸協会の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「三四郎」より 著者:夏目漱石
また笑っていた。腹の中ではもう笑うのがいやになった。 「美禰子さんがね、兄さんに
文芸協会の演芸会に連れて行ってちょうだいって」 「里見さんといっしょに行ったらよ....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
桔梗』という史劇集を公けにした。松葉君はこの年の四月、演劇研究のために洋行した。
文芸協会はこの年の十一月、歌舞伎座で坪内逍遥博士の「桐一葉」を上演した。 若葉....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
骸を葬った。
(大正二年 二月十七日)
ハムレット
帝国劇場で
文芸協会のハムレットがある。芝居と云うものを久しく見ず、評判の帝国座もまだ覗いた....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
見を抱いて見るも穏健老実なる紳士と認めらるべき思想界の長老たる坪内氏が、経営する
文芸協会の興行たる『故郷』の上場を何等の内論も質問もなく一令を下して直ちに禁止す....
「病菌とたたかう人々」より 著者:宮本百合子
る情景や生の思いがある。 ほとんど同時に、やはり国立癩療養所である多磨全生園の
文芸協会が編輯した『癩者の魂』も出版されている。これは、大人の作品であり『春を待....
「時代と人々」より 著者:宮本百合子
もって対して下すっていた。しかしながら、その豊富な経験のなかでは、自身創立された
文芸協会で、抱月と松井須磨子の二つの命をやきつくしたようないきさつに接して居られ....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
たのですが、すこし御返事がおくれたについては、満更わるくもないニュースがあるの。
文芸協会から――今の文学報国会――自選作品集を出します、いろんな人が一篇ずつ小説....
「朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
雷神木《らいじんぼく》があるのを、私が、坪内先生の御邸内《おやしきない》に建った
文芸協会へ誘っていった時に、その木が、お住居《すまい》の門のすぐそばにある事を話....
「松井須磨子」より 著者:長谷川時雨
が、いつでもあの人はキョトンとした鳩《はと》のような目附きで私の顔を眺めていた。
文芸協会の生徒の時分もそうであったし、芸術座の女王《クイン》、女優界の第一人者と....
「日記」より 著者:宮本百合子
るのはよくない」 「大阪は新らしいものの芽を育てやすい処、東京はあまり批評的。
文芸協会も大阪でやればあんなことはなかったろう。」 十二月十三日(火曜) 風邪....
「漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
明治四十年十一月十八日(葉書) 昨日は御馳走になりました。私は二十二日入場の
文芸協会の演芸会の特等の招待券をもらいました。(壱円五十銭)あなたはもらいません....
「イプセン百年祭講演」より 著者:久保栄
ントな融合形式によって上演する運びに立ちいたりました。言うまでもなくイプセンは、
文芸協会自由劇場以来、日本の新劇運動とはまことに密接な関係にありますが、おそらく....
「明治の文学の開拓者」より 著者:内田魯庵
ければならぬ。坪内君がいなかったら早稲田は決して今日の隆盛を見なかったであろう。
文芸協会の成功は更に一層明白な事実である。腹蔵なくいえば
文芸協会の芝居がそれほど....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
座創立以来、同座にありて専ら団十郎のために筆を執れり。 ○坪内博士を会頭としたる
文芸協会は、二月十七日の夜、芝公園の紅葉館において第一回の試演を催す。土肥春曙、....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
生を中心に、東儀、土肥、水口などの諸氏が脚本の朗読や実演の稽古などをやって、後の
文芸協会の基を作った由緒づきな家だったそうだ。そしてその清風亭が後に江戸川べりに....