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斉明天皇
「斉明天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
斉明天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「田園雑感」より 著者:寺田寅彦
六 郷里からあまり遠くないA村に木の丸神社というのがある。これは
斉明天皇を祭ったものだと言われている。天皇が崩御になった九州のある地方の名がすな....
「颱風雑俎」より 著者:寺田寅彦
本書紀時代における遣唐使がしばしば颱風のために苦しめられたのは事実であるらしい。
斉明天皇の御代に二艘の船に分乗して出掛けた一行が暴風に遭って一艘は南海の島に漂着....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
○ 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は榜ぎ出でな 〔巻一・八〕 額田王
斉明天皇が(
斉明天皇七年正月)新羅を討ちたまわんとして、九州に行幸せられた途中、....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ていたことは古代史上からも遺跡からも見ることができます。 それから三十余年後の
斉明天皇六年(西暦六六〇年)に、こんどは逆に、信濃の東方から西方へ向って群蠅が巨....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
る、また妨げず。『唐書』に「倭国の東北、大山を限り、其の外は即ち毛人」とあるは、
斉明天皇遣使当時の実際を示せるものにして、必ずしも太古の状態を説くものにあらずと....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
。 その後蝦夷の征討、蝦夷の服従の事実は、たびたび歴史の上に見えておりまして、
斉明天皇の御代には、阿倍比羅夫が大いに日本海方面の経営に成功して、今の北海道にま....
「山の人生」より 著者:柳田国男
併行して、別に一派の山中の鬼があって、往々にして勇将猛士に退治せられております。
斉明天皇の七年八月に、筑前朝倉山の崖の上に踞まって、大きな笠を着て顋を手で支えて....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
た。出羽方面の王化はまず海岸から入り込んだので、秋田・渟代(能代)の辺はすでに、
斉明天皇朝に阿倍比羅夫の遠征によって郡が置かれ、当時津軽の辺にまで、内地化したる....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
たるに過ぎないが、自分は彼らがかつて北海道本島にも住んでいたと信ずるものである。
斉明天皇の御代に阿倍比羅夫が征伐した粛慎や、養老年間に渡島津軽津の司諸君鞍男が調....