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新発田
「新発田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
新発田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
阿賀川《あがのがわ》を切ったことでございます。実にエライ事業でございます。有名の
新発田《しばた》の十万石、今は日本においてたぶん富の中心点であるだろうという所で....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
げました。 4 「わたくし、名はしげ代と申します。 生まれは、越後
新発田《えちごしばた》でござります。こちらさまへご奉公に上がったのは、きのうやき....
「仇討三態」より 著者:菊池寛
寺を逐電したのは、その翌日である。 その二 越後国|蒲原郡
新発田の城主、溝口|伯耆守の家来、鈴木忠次郎、忠三郎の兄弟は、敵討の旅に出てから....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
に近衛に帰った。 そして僕が五つの時に、父と母とは三人の子供をかかえて、越後の
新発田に転任させられた。父はこの
新発田にその後十四、五年もくすぶってしまった。僕....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
進 竹俣三河守 村上 義晴 島津 規久 右備
新発田尾張守 山吉孫次郎 加地彦次郎 左備 本庄越....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
をもうけることにも抜け目がないが、あれでなかなか奇骨がある。」 奥州から越後の
新発田、村松、長岡、小千谷を経、さらに飯山、善光寺、松本を経て、五か月近い従軍か....
「続獄中記」より 著者:大杉栄
が、生れて半年経つか経たぬうちに東京へ来た。そして五つの時に父や母と一緒に越後の
新発田へ逐いやられた。東京では父は近衛にいた。うちは麹町の何番町かにあった。僕は....
「独身」より 著者:森鴎外
げにくいには違ない。僕の同期生に宮沢という男がいた。その男の卒業して直ぐの任地が
新発田だったのだ。御承知のような土地柄だろう。裁判所の近処に、小さい借屋をして、....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
り持ち来ったのに欺かれ、瑞兆として高く買ったでなかろうか。日本でも上杉家の勇将|
新発田《しばた》因幡守治長は、染月毛てふ名馬の、尾至って白きを、茜《あかね》の汁....
「獄中消息」より 著者:大杉栄
になった人達へは、僕からよろしくと言って礼状を出してくれ。 なお、伸に、仙台や
新発田で父がごく親しくしていた人達に大体のことを書いて安心するようにと言ってやる....
「安吾武者修業」より 著者:坂口安吾
だもう実用一点ばりの剣術だ。 馬庭念流の門弟中で名高いのは堀部安兵衛だ。越後の
新発田から上京すると、馬庭が順路に当るから、自然念流の門を叩くようになったらしく....
「諦めている子供たち」より 著者:坂口安吾
生くらいの子供の言葉と思っていただけばよい。新潟県は土地々々で非常に方言がちがい
新発田あたりだけはまるで仙台弁のように鼻にかかる少地域なぞが介在したりするが、い....
「雪の透く袖」より 著者:鈴木鼓村
機動演習は、会津の若松の近傍で、師団演習を終えて、後、我|聯隊はその地で同旅団の
新発田の歩兵十六|聯隊と分れて、若松から喜多方を経て、大塩峠を越え、磐梯山を後方....
「志士と経済」より 著者:服部之総
た。大倉喜八郎《おおくらきはちろう》の祖父、越後北蒲原《えちごきたかんばら》郡|
新発田《しばた》町の豪商大倉|定七《さだしち》の墓碑銘を、頼山陽《らいさんよう》....
「こども風土記」より 著者:柳田国男
変ればそれについてままごとの名も変って行くのである。母をオウカチャマという越後の
新発田辺ではオガチャマゴト、主婦がジャジャと呼ばれる秋田県の北部ではジャジャボッ....