日日[語句情報] » 日日

「日日〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

日日の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
」より 著者:芥川竜之介
方《かた》があれば、どうか下《しも》に引用した新聞の記事を読んで下さい。 東京日日新聞。昨十八日(五月)午前八時|四十分《しじっぷん》、奥羽線上《おううせんの....
星座」より 著者:有島武郎
が、骨身にこたえるのだ。俺一人が楽をしようというではけっしてないがな、何しろ、今日日々の米にも困ってな……この四年あまりというもの、お前のしてきた苦労も、俺は胸....
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
に止《とど》まっていると考えます。しかしながらこの人の生涯が私を益し、それから今日日本の多くの人を益するわけは何であるかというと、何でもない、この人は事業の贈物....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
例によって半七老人を訪問すると、老人は六畳の座敷の縁側に近いところに坐って、東京日日新聞を読んでいた。老人は歴史小説が好きで、先月から連載中の塚原|渋柿園氏作『....
婦系図」より 著者:泉鏡花
山理学士から、帰宅を知らせて来たのだろう……と何となくそういう気がしつつ――三四日日和が続いて、夜になってももう暑いから――長火鉢を避けた食卓の角の処に、さすが....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
ある。 その一は、明治三十七年の九月八日か九日の夜とおぼえている。わたしは東京日日新聞の従軍記者として満洲の戦地にあって、遼陽陥落の後、半月ほどは南門外の迎陽....
日本脱出記」より 著者:大杉栄
まで、こんな御馳走ばかり食べていたのではない。 ちょうどはいる前の日に、『東京日日』の記者から原稿料の幾分かを貰っていたものだから、二、三カ月はどんなに贅沢を....
続獄中記」より 著者:大杉栄
のは三畳の室で、さすがに畳も敷いてある。そこへ藁布団を敷いて、室一ぱいの窓から一日日光を浴びて、そとのいろんな草花を眺めながら寝て暮せばいいんだ。看護人には、囚....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
実験室に来た時に、学界の空気に感心したと見えて、ファラデーに「俗人の浅墓な生活や日日の事に齷齪するのとは全くの別天地で、こんな所で研究をしておられたら、どんなに....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
――新富座の悲運――上野の彰義隊――鴈治郎の十次郎と盛綱 昔の新聞劇評家 『東京日日新聞』――招待の芝居見物――初めて書く劇評――各社の劇評家――小芝居見物は破....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
なり。 ロンドンは十一月より二月に至るまで、およそ四カ月間は黒煙四方に遮り、終日日影を見ず。はなはだしきにいたりては、四隣灯をともし、白昼あたかも暗夜のごとし....
西航日録」より 著者:井上円了
、図らずも奥田早苗氏ほか三名の日本学生に面会するを得。五人相対して午餐を喫し、終日日本談話の歓を尽くせり。 余が当地バルレー村に来たりしは、最初ロンドンにて田....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
小児のポッテット競走、大いに人をして笑わしむ。 三十一日、晴れ。中天雲なく、終日日光を見る。軟風軽寒、南緯三十一度に達するも、なおわが十一月ごろの寒気を覚ゆ。....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
れも好評。 ○九月、河原崎権之助は市川|三升と改名。 ○十一月、守田座にて「東京日日新聞」を上演。新聞物を舞台に上せたる嚆矢なり。 ○東京府令によって市内の劇場....
魔性の女」より 著者:大倉燁子
いた配給のビールをぬくのだった。 安子は柱時計を見て、 「あら、もう一時よ。明日日曜だからゆっくり寝ていらして頂戴な。その間に、私、研究所へ心霊の修業に行って....