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日華
「日華〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
日華の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「影」より 著者:芥川竜之介
横浜《よこはま》。
日華洋行《にっかようこう》の主人|陳彩《ちんさい》は、机に背広の両肘《りょうひじ....
「武装せる市街」より 著者:黒島伝治
費を、自分の貯金として、支那にいる間に、一と財産作って帰る腹の山崎は、M製粉や、
日華|蛋粉、K紡績、福隆|火柴公司などを順ぐりに、めぐり歩いていた。 金を出し....
「或る夜の武田麟太郎」より 著者:豊島与志雄
或る夜の武田麟太郎 豊島与志雄 その昔、といっても
日華事変前頃まで、所謂土手の小林は、吾々市井の酒飲みにとって、楽しい場所だった。....
「牛乳と馬」より 著者:豊島与志雄
あとで気付いたのだが、家の事情をだいたい話してしまったことになった。お兄さまは、
日華事変中に中国で戦死されたこと、お姉さまが肋膜を病まれたあと、肺に浸潤が残って....
「秦の出発」より 著者:豊島与志雄
受ける。秦啓源も時折やって来て、私達の碁を楽しげに眺めた。盤に向うのは、その他の
日華人少数だった。 事務所の様子も風変りだし、碁盤があるのも、上海では異数だが....
「聖女人像」より 著者:豊島与志雄
る。研究所から自宅へまで氾濫してきた資料なのだ。第一次世界大戦後から、満州事変、
日華事変、太平洋戦争、それから戦後に至るまでの、日本の社会情勢についての調査資料....
「自由人」より 著者:豊島与志雄
危い、真に危いのだ。 ただ然し、俺は良心に恥じる糸につかまっていたのではない。
日華事変中から太平洋戦争中にかけて、重慶政府へ、大小さまざまの幾筋かの和平の糸が....
「町内の二天才」より 著者:坂口安吾
。日曜につれてこい」 話がきまったから、金サンは牛肉屋の二階広間を予約して、当
日華々しく対局を行う手筈をたてたのである。 戦おわりぬのこと いよ/....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
。鶴見にはその折の情景がようように象を具えて喚起されるに従って、その夏というのは
日華事変の起ったその年の夏であったように思われてくる。 或る日のことである。晩....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
れは修正をされていかなければならぬと思うのであります。現在、日本と台湾とを結んで
日華平和条約がありまするが、これで一億人になんなんとする中国のかなたとの関係が正....
「イグアノドンの唄」より 著者:中谷宇吉郎
事件を挙げるべきであろう。 それは昭和十三年十二月二十二日のことであった。即ち
日華《にっか》事変が最高潮に達していた頃の話である。英領南アフリカ喜望峰の近くに....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
には徳川時代になっても、なおその遺風が多少存して、正月元日の早朝には、禁裏御所の
日華門前において、毘沙門経を読誦する例であった。毘沙門天は七福神の一つにも数えら....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
というのではないらしい。『年中行事大成』がまたこの同意見から、祇園の犬神人の元旦
日華門前に毘沙門経を読誦するということをもって、「唱門師」の名を解せんとしたのは....
「ロザリオの鎖」より 著者:永井隆
悠然南山を見たまではよかったが、それをあまりにも美しい詩に詠んだために後世幾億の
日華両民族に安易な隠居思想を植えつけた責任を負わねばならなくなった。 後進に席....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
両国は連盟の域を脱して、既に連邦的存在、ある点では大国家的存在とも言える。しかし
日華両国は現に東亜未曽有の大戦争を交えている。幸い近く平和が成立したところで急速....