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旧名
「旧名〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
旧名の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「あやかしの鼓」より 著者:夢野久作
番おしまいに出ているのは私が見も知らぬ人であるのにその下に「稀代の怪賊高林久弥事
旧名音丸久弥」と書いてあったのには驚いた。その本文にはこんなことが書き並べてあっ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
裁しかそなえていないものではあるが、それらの週報は欧米教育事業の視察の途に上った
旧名古屋藩士、田中|不二麿が消息を伝えるころである。過ぐる四年の十一月十日、特命....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
を書くので如何にも名聞がましくて気が差すが平にお許しを願いたい。 筆者の祖父は
旧名三郎平、黒田藩の応接方で後、灌園と号し漢学を教えて生活していた。私は生れると....
「敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
は成らぬと云うので、信州水内郡の水と白島村の島の字を取って苗字に致し、これに父の
旧名太一を名告って水島太一と致したが、今と成って見ると此の水島太一という姓名を附....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
に上京する時は、名古屋丸というに乗った。いずれも米国から買入れたので、名古屋丸は
旧名ネヴァタ、東京丸はニューヨークといったのである。この途中神戸で楠公神社へ妻と....
「北支点描」より 著者:豊島与志雄
ある。深い清澄な池の底から、メタン瓦斯の玉が幾つも、昼夜間断なく湧き上っている。
旧名真珠泉で現名珍珠泉だが、全く真珠のさまざまな珍珠が水底から湧き上ってくるよう....
「私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
小屋である。 末広座というのは比較的新しい名前であるらしく、私の祖母などは常に
旧名を用いて大西座と呼んでいた。 この小屋は今はなくなつてしまつたが、実に不思....
「名古屋スケッチ」より 著者:小酒井不木
昔大須にあふれて居た名古屋情調を顧りみて惜まざるを得ないのである。さうして一たび
旧名古屋情調をしのびはじめたならば、今の名古屋で、だんだん勢力を得て来たモダン・....
「老狸伝」より 著者:佐藤垢石
るそうだ。 六 赤城山麓の、厩橋城も狸の巣であった。厩橋というのは、前橋の
旧名である。 厩橋城は、慶長六年酒井重忠が、武州川越から転封された後、忠世、忠....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ので、私は家に帰り、弟子の萩原国吉を使いにやりました(この国吉は今の山本瑞雲氏の
旧名。当時の青年も今は五十以上の老人となっている)。国吉は早速中風呂敷をもって三....
「イプセン百年祭講演」より 著者:久保栄
輪郭をほぼ知ることができました。芝居の興行のほうから申上げますが、首府オスロ――
旧名クリスチャニヤ――の国民劇場では、三月十四日から記念祭の当日までに、「ブラン....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
も知っているが、伊藤博文公の出生地なるツカリも同じく「束荷」と書く。越前の敦賀は
旧名|角鹿であったと言われ、日向の財部が後世高鍋となっているのも同じ道理で、近江....
「望郷」より 著者:服部之総
期にあたって、士族屯田兵は急速に進行している。明治十一年|八雲《やくも》を拓いた
旧名古屋藩士、十三年ヨイチ郡大江村を拓いた旧山口藩士、十四年イシカリ郡トウベツ村....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
便を図る為と、一つは現在の名をわざわざ吹聴するの必要を認めぬのとより、ことさらに
旧名を掲げておいたのである。 また云う、享保十七年五月の「六条村年寄書上」に、....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
告は、まことに有益なる御注意として感謝する次第である。 森口君が中尾を陰陽町の
旧名だと推定されたことについて、確証を提供せられぬのは遺憾である。『大和人物誌』....