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「早稲田文学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

早稲田文学の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
死までを語る」より 著者:直木三十五
ぬとかいう噂が立ったりした。民樹の「泥濘の道」というこの事をかいたという小説が「早稲田文学」に発表されたが、与謝野晶子が 「こんな事、本当にあるんでしょうか」 ....
トコヨゴヨミ」より 著者:田山花袋
ない中に刑事は其処にもやって来ていた。勇吉はわくわく震えた。 (一九一四年三月「早稲田文学」)....
別れたる妻に送る手紙」より 著者:近松秋江
しごきをくれた夜の様を女の身振や声色まで真似をして話した。 (明治四十三年四月「早稲田文学」)....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
う愚詠をしたが、今白髪となって何の功もないことを恥じている。 (大正十四年三月『早稲田文学』二二九号)....
獄中消息」より 著者:大杉栄
に好都合だと思うが、足下にその気があるなら、それとなく訪ねて行って見ないか。 『早稲田文学』は小説ばかりだからというので不許になった。こんどは『帝国文学』と『新....
明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
一兵卒」は、作者の従軍中の観察と体験とからなったものである。明治四十一年一月の「早稲田文学」に現れた、花袋の代表作の一つであろう。日露戦争の遼陽攻撃の前に於ける....
田沢稲船」より 著者:長谷川時雨
のあるを聞けり。由来すると説くものを聞かず―― と「小羊《こひつじ》漫言」に『早稲田文学』の総帥坪内逍遥は書いたが、おとめ問題での美妙の反駁文には手厳しかった....
新しき世界の為めの新しき芸術」より 著者:大杉栄
一 去年の夏、本間久雄君が早稲田文学で「民衆芸術の意義及び価値」を発表して以来、此の民衆芸術と云う問題が、....
役者の一生」より 著者:折口信夫
葛城は福助、丁山というきゃんな遊女の役を源之助がした。この時のことを伊原青々園が早稲田文学に書いた。当時福助は活歴の影響が満々とあるから品のよい遊女となり、源之....
子をつれて」より 著者:葛西善蔵
が今は唯、彼の頭も身体も、彼の子供と同じように、休息を欲した。 (大正七年三月「早稲田文学」)....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
の「大東号航海日記」を載せたのを見て、初めて自分も小説家になろうと志し、やがて『早稲田文学』、『柵草紙』等の愛読者となった。それから同級の親友|河東秉五郎君にこ....
夜長ノート」より 著者:種田山頭火
風氏、吉井勇氏、北原白秋氏、秋田雨雀氏、上田敏氏、小山内薫氏、鈴木三重吉氏。……早稲田文学、文章世界、帝国文学、新小説。島村抱月氏、田山花袋氏、相馬御風氏、正宗....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
で鋭意に真摯に、劇の革新と向上とに努力をつづけていたのは坪内逍遥博士で、博士は『早稲田文学』をその本拠として、絶えず指導的の論評を試みていたばかりか、みずから進....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
は偶然私の家で邂逅して久闊を叙し、それから再び往来するようになっていた。その頃『早稲田文学』を根城として専ら新劇の鼓吹に腐心していた逍遥は頻りに二葉亭の再起を促....
古い暦」より 著者:長谷川時雨
も知れない。も一度|節《ふし》をつけて読んでくださって、それがそのころ権威ある「早稲田文学」誌上に載せられた。 そんなことでか、もしくは、この弟子が、すこしば....