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明暦
「明暦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
明暦の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ろん現在の新吉原ではないので、特に新吉原と新の字がついているように、現今の吉原は
明暦三年の江戸大火以後いまの土地に移転したことになっていますから、この話の当時の....
「白蟻」より 著者:小栗虫太郎
その屍《しかばね》を数段に積みかさね、地下ふかく埋めたのだった。ところが、その後
明暦三年になると、この地峡に地辷《じすべ》りが起って、とうにそのときは土化してし....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
麻布方面から江戸へ燃えひろがり、下町全部と丸の内を焼いた。江戸開府以来の大火は、
明暦の振袖火事と明和の行人坂火事で、相撲でいえば両横綱の格であるから、行人坂の名....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
世爵、祖承訓以下。兵数各々一万一千を超え、ほとんど全軍騎兵である。 文禄二年(
明暦で云えば万暦二十一年)の正月元日、この三脇の大軍は安州城南に布陣した。当時朝....
「残されたる江戸」より 著者:柴田流星
の元を用心し、向島は秋葉神社の護符を拝受して台所の神棚に荒神様と同居させるなぞ、
明暦以来は一層懲りに懲りているので、用意周到行きわたらざる隈もない。 「ああ又い....
「函館の大火について」より 著者:寺田寅彦
ことなのである。 徳川時代の江戸には大火が名物であった。振袖火事として知られた
明暦の大火は言うまでもなく、明和九年二月二十九日の午ごろ目黒行人坂大円寺から起こ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
て面白い、年代はいつごろだろうか知ら」 「よく年代を知りたがる人じゃ」 「ええ、
明暦《めいれき》とある、肝腎《かんじん》の年号の数字のところが欠けていて見えない....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
震火事と言った。江戸の火事のことを言うと、その以前寛永十八年正月にも大火があり、
明暦三年正月十八、十九の両日にも大火があった。わけて
明暦の大火は江戸未曽有の大火....
「図書館の未来像」より 著者:中井正一
大衆サービスの読書機構として、まことに興味あることである。三棟の土蔵にみちみちた
明暦以来の大集書が、大衆サービスの前に整理され、その中から坪内逍遥などが生まれた....
「番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
き合っていた。 それには眼もくれないように、侍と奴どもは悠々と茶をのんでいた。
明暦初年三月半ばで、もう八つ(午後二時)過ぎの春の日は茶店の浅いひさしを滑って、....
「目黒の寺」より 著者:岡本綺堂
麻布方面から江戸へ燃えひろがり、下町全部と丸の内を焼いた。江戸開府以来の大火は、
明暦の振袖火事と明和の行人坂火事で、相撲でいえば両横綱の格であるから、行人坂の名....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
い》井原西鶴《いはらさいかく》の著作いづれもその証《しょう》となすに足る。試みに
明暦《めいれき》三年江戸大火の惨状を記述したる『武蔵鐙《むさしあぶみ》』を見よ。....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
自分はかつて民族と歴史一巻一号において駆使部と土師部との関係を論じ、その中に
明暦四年及び寛文十年の阿波の棟附帳(戸籍)から「間人」なる一階級の民衆の存在を紹....
「日本橋附近」より 著者:田山花袋
除地になっていて、そこにまばらに柳の緑がなびいていたことを、その火除地というのは
明暦の大火があったために、丁度震災後に小公園を多くする必要を感じたと同じ理由で有....