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「春秋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

春秋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
認めない批評家を嘲《あざけ》ったものであります。こう言うことを広告するのは「文芸春秋」の読者の頭脳を軽蔑《けいべつ》することになるのかも知れません。しかし実際或....
俊寛」より 著者:芥川竜之介
御食事は勿論、御召し物さえ、御不自由勝ちに違いありませんから。」 「いや、衣食は春秋《はるあき》二度ずつ、肥前《ひぜん》の国|鹿瀬《かせ》の荘《しょう》から、少....
第二菎蒻本」より 著者:泉鏡花
えて返事もしなかったのである。 〆の形や、雁の翼は勿論、前の前の下宿屋あたりの春秋の空を廻り舞って、二三度、俊吉の今の住居に届いたけれども、疑も嫉妬も無い、か....
悪獣篇」より 著者:泉鏡花
と打かたむいたが、身の戦くことなお留まず。 それとも渚の砂に立って、巌の上に、春秋の美しい雲を見るような、三人の婦人の衣を見たのが夢か。海も空も澄み過ぎて、薄....
怨霊借用」より 著者:泉鏡花
坐睡っているんでは、半分死んでいるのも同じだ。」 と欣七郎は笑って言った。 「春秋の潮時でもござりましょうか。――大島屋の大きいお上が、半月と、一月、ずッと御....
歯車」より 著者:芥川竜之介
ゃべっているうちにだんだん病的な破壊慾を感じ、堯舜を架空の人物にしたのは勿論、「春秋」の著者もずっと後の漢代の人だったことを話し出した。するとこの漢学者は露骨に....
「菊池寛全集」の序」より 著者:芥川竜之介
識に根ざした、何物をも容赦しないリアリズムである。 菊池寛の感想を集めた「文芸春秋」の中に、「現代の作家は何人でも人道主義を持っている。同時に何人でもリアリス....
戦争責任者の問題」より 著者:伊丹万作
では、除名の件はたしかにお願い申しました。草々頓首」(四月二十八日) (『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)....
競馬」より 著者:犬田卯
なものだった――そいつが疫病やみのように村人の魂へとっついてしまった。 競馬は春秋二季、あたかも農閑期に、いくらかの現なまが――たといそれは租税やなんかのため....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
念御用画 同 四年 「伊勢大輔」「新螢」伊太利日本画展出品 同 五年 「春秋二曲屏風一双」高松宮家御用画 同 六年 「虫ぼし」独逸ベルリン日本画展出....
夫人利生記」より 著者:泉鏡花
――あの、摩耶夫人の御寺へかの。」 なき、その母に手を曳かれて、小さな身体は、春秋の蝶々蜻蛉に乗ったであろう。夢のように覚えている。 「それはそれは。」 と....
活人形」より 著者:泉鏡花
るる次第となりけむ、その顛末を記し置くべし。 下枝は北の台に幽囚せられてより、春秋幾つか行きては帰れど、月も照さず花も訪い来ず、眼に見る物は恐ろしき鉄の壁ばか....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
天候を案ずるに、米国中いたるところ、ただ冬夏二季の気候の厳酷なるもののみありて、春秋二季の温柔なるものあらず。ゆえに、この間に生長せる人民は、その心またおのずか....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
邑なり。家屋はすべて木造、トタン屋根にして、二階を限りとす。気候は年中夏のみにて春秋冬なく、街頭は樹木に乏しく、わずかに檳榔樹くらいを見るのみ。ゆえに、日光ただ....
茸をたずねる」より 著者:飯田蛇笏
問については屡々私は一人の案内者を伴うことがある。案内者の名を仮に粂吉と呼ぶ。幾春秋山中の日に焦かれた彼の顔は赤銅色を呈している。翁の面のようにも見える。長い眉....