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普賢
「普賢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
普賢の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鼻」より 著者:芥川竜之介
あった。愛すべき内供は、そう云う時になると、必ずぼんやり、傍《かたわら》にかけた
普賢《ふげん》の画像を眺めながら、鼻の長かった四五日前の事を憶《おも》い出して、....
「春」より 著者:芥川竜之介
立ち兼ねなかった。人目は?――彼等の前後には観覧人《かんらんにん》が三四人、今も
普賢《ふげん》や文珠《もんじゅ》の前にそっと立ち止まったり歩いたりしていた。
「....
「耽溺」より 著者:岩野泡鳴
吉弥の坐っているのがふらふら動くように見えるので、あたかも遠いところの雲の上に、
普賢菩薩が住しているようで、その酔いの出たために、頬の白粉の下から、ほんのり赤い....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
大心ありて仏道に入る義にて、すなわち仏の次に位する称号。地蔵、観音、勢至、文殊、
普賢、虚空蔵などある。それから天部という。これは梵天、帝釈、弁天、吉祥天等。次は....
「春昼」より 著者:泉鏡花
、偶像とおっしゃるから不可ん。 名がありましょう、一体ごとに。 釈迦、文殊、
普賢、勢至、観音、皆、名があるではありませんか。」 「唯、人と言えば、他人です、....
「七宝の柱」より 著者:泉鏡花
君、いかが。」 などと、お話がありそうである。 と、麓の牛が白象にかわって、
普賢菩薩が、あの山吹のあたりを御散歩。 まったく、一山の仏たち、大な石地蔵も凄....
「後光殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
い精霊が何故去ったか――を突き究めねばならなかった。と云うのは、七月十六日の朝、
普賢山劫楽寺の住職――と云うよりも、絵筆を捨てた堅山画伯と呼ぶ方が著名であろうが....
「生活と一枚の宗教」より 著者:倉田百三
れでもいけない、あれでもいけないというので、五十五人の善知識をへめぐって、最後に
普賢菩薩に会って、阿弥陀如来に帰命するということになっているのでありますが、そう....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
五百羅漢製作においても多大の精進を積まれ一丈六尺の釈迦牟尼仏の坐像、八尺の文殊、
普賢の坐像、それから脇士の阿難迦葉の八尺の立像をも彫まれました。なお、禅師についての話は他日別にすることと致します。....
「瓜の涙」より 著者:泉鏡花
、そのまま取出して、巨石の床に据えた処は、松並木へ店を開いて、藤娘の絵を売るか、
普賢菩薩の勧進をするような光景であった。 渠は、空に恍惚と瞳を据えた。が、余り....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
、口が燃えるように吹いて、緑青の炎をつけた、芬と、硫黄の臭がした時です。 「南無
普賢大菩薩、文珠師利。……仕うる獅子も象も獣だ。灸は留めちまえ、お冬さん。畜生に....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
、また貝葉でなく紙本梵文にも逸品がある。三井園城寺大日経真言梵本一冊、河内金剛寺
普賢行願讃一冊、高野山無量寿院大涅槃経一軸がある。いつか刊行したいと思っておりま....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
ェというのはチベット暦の十一月二十五日の夜の十二時から始まりますので、その意味は
普賢菩薩の願文会という意味です。二十五日の夜から十四日間その事をやるので、毎夜十....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
建仁三年九十歳に達し、和歌所において九十賀を賜わり、鳩杖を賜わるの光栄に浴した。
普賢寺関白近衛|基通が『俊成卿九十賀記』を書いた。翌元久元年十一月三十日に九十一....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
央にある仏像は本尊です。 釈迦如来を本尊とする仏像の脇士は、左に文殊菩薩、右に
普賢菩薩であります。これにはいろいろの意味がありますが、もし文殊が平等を現す場合....