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「智嚢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

智嚢の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
支倉事件」より 著者:甲賀三郎
理は慎重の上にも慎重を重ねる必要がある。宮木氏は、実に本件に於て彼の刑事裁判上の智嚢を傾倒して終ったので、よく本事件を裁断し得たのは、頭脳明晰にして精桿の気溢る....
東京要塞」より 著者:海野十三
とも倉庫とも見える建物内こそ、そこに秘められている大秘密をあばきつくすため、彼の智嚢を傾けつくさねばならぬ大戦場だった。しかしこの簡単な建物の中から、一体どんな....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
様の黒幕にこの人がいることは、伊太夫の傍らにお角さんが取巻いているよりは、遥かに智嚢《ちのう》が豊かで、舞台が大きいことは申すまでもありますまい。 ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
石田三成と同一の地位であります。 ただ三成は、痩《や》せても枯れても、豊太閤の智嚢であり、佐和山二十五万石の大名であったのに、小栗は僅かに二千八百石の旗本に過....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、狼狽に堪えられない気持になりました。 しかし、デモとプロもさるもの、たちまち智嚢をしぼって、この道庵の人気に対する対抗策を考えついたというのは――仲間中から....
ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
らのうちには、表面的な超国境主義が支配していて、四つのおもな国語と西欧四大国民の智嚢《ちのう》とが安らかに混和していた。各民族がそれぞれ自分の割当を、ユダヤ人は....
ヂュパンとカリング」より 著者:小酒井不木
はりヂュパンがその元祖となっているのである。実際ポオの書いている如く、ヂュパンの智嚢は「病的」であるほど深いのであるから、丁度カーライルが、彼の同時代の英国民を....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
焼屋の服部喜兵衛、又の名を小林城三といった油会所の手代であった。が、伊藤八兵衛の智嚢として円転滑脱な才気を存分に振ったにしろ、根が町人よりは長袖を望んだ風流人|....
四十年前」より 著者:内田魯庵
われた。 伊井公侯を補佐して革命的に日本の文明を改造しようとしたは当時の内閣の智嚢といわれた文相森有礼であった。森は早くから外国に留学した薩人で、長の青木周蔵....
雨夜草紙」より 著者:田中貢太郎
ぜずに、非常な敬虔な心を持って先輩に対していた。油井伯爵を首領に戴いた野党の中の智嚢と云われた木内種盛は、微髭の生えた口元まで、三十年|前とすこしも変らない精悍....
三国志」より 著者:吉川英治
だけだった。 柴桑城の一閣には、その日、かくと聞いて、彼を待ちかまえていた呉の智嚢と英武とが二十余名、峩冠をいただき、衣服を正し、白髯黒髯、細眼巨眼、痩躯肥大....
三国志」より 著者:吉川英治
主義になりやすい。それがいざ戦に入ると疾風迅雷を要してくる。また序戦では、参謀の智嚢智嚢とは敵味方とも、いずれ劣らぬ常識線で対峙する。だがそのうちに、天来の声....
三国志」より 著者:吉川英治
のも、関羽を一敗地に介したのも、呂蒙の奇略といわれていますが、実はすべて、陸遜の智嚢から出たものでした」 「では、陸遜こそ、わが義弟を討った仇ではないか」 「そ....
三国志」より 著者:吉川英治
考案され、兵の鉄帽(鉄かぶと)から鎧にいたるまで改良された。 そのほか、孔明の智嚢から出たと後世に伝わっている武器は数かぎりなくあるが、何よりも大きなものは、....
黒田如水」より 著者:吉川英治
は、ひとりの子を送ることよりも、織田軍数万と、ひとりの大将を播州へ迎えることに、智嚢をしぼった。そしてその実現を見る日は、今を措いてはないと信じていた。 陸路....