書紀[語句情報] » 書紀

「書紀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

書紀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
金将軍」より 著者:芥川竜之介
しぬ》る者|衆《おお》し。艫舳《へとも》、廻旋《めぐら》することを得ず。」(日本書紀《にほんしょき》) いかなる国の歴史もその国民には必ず栄光ある歴史である。....
」より 著者:芥川竜之介
書紀によると、日本では、推古《すいこ》天皇の三十五年春二月、陸奥《みちのく》で始....
猿飛佐助」より 著者:織田作之助
て、 「――そもそも忍びの術とは、古代道臣命勅を奉じ、諷歌倒語を用いられしことは書紀にも見えておるが、後世この法が近江の甲賀に伝えられて、天地人の和を以って行わ....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
額田王は供奉し、後に当時を追懐して詠んだものと想像していい。額田王は、額田姫王と書紀にあるのと同人だとすると、額田王は鏡王の女で、鏡女王の妹であったようだ。初め....
飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
翌日、推古三十一年二月二十二日に聖徳太子が死んだと書いている。(この太子の歿年は書紀も古事記も同じです) ところが註釈者の曰く、釈迦像の光背の文は皇妃の死の翌....
ヒノエウマの話」より 著者:坂口安吾
文化の一つである。ともかく、これ自身も昔は文化であったには相違ない。 古事記や書紀の昔から、干支というものが年代をはかる標準になっていた。西暦が百年周期で、世....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
。やっとのことで、大正十年が一千三百年の遠諱に当るということに気がついた。『日本書紀』は文庫本でこの頃手に入れたが、その本文から年代の纏った知識を得ることは容易....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ということは、我々が痛切に経験したことである。八紘一宇とやら称して古事記だの日本書紀だのというものから論理を探してきたのが現代の話だからね。それに比べれば南朝の....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
体にして顔が二ツ、手足四本、これによって両面四手と云う、という、この怪人物は日本書紀にチョッピリと記事があって、仁徳天皇六十五年の条に、 「ヒダの国に宿儺(スク....
文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
観があまりに勝ち過ぎていて、地方色が出ているとは言い難いのであります。遠く『日本書紀』や『万葉集』や『古今集』などにも、既に東北地方は紹介されてはいるのでありま....
国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
訓むべきもので、『クスドモ』と訓むのは、古意でないかもしれない。飯田武郷翁は日本書紀通釈において、夫木集の、 遠つ人、吉野のくにすいつしかと、仕へぞまつる年の始....
間人考」より 著者:喜田貞吉
明命の後裔と称する丹治比姓のもので、間人姓を称えたものであったと見える。また日本書紀孝徳天皇白雉五年の条に、遣唐使判官|中臣間人連老という名が見えていて、中臣氏....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
片になったりしたにしても、記録の行われる時代まで持ち越されて、『古事記』や『日本書紀』や『古語拾遺』やのうちに、二百あまりも書きとどめられたことは、私どもにとっ....
古事記」より 著者:太安万侶
。 三、スサノヲの命 穀物の種 ――穀物などの起原を説く插入説話である。日本書紀では、月の神が保食《うけもち》の神を殺す形になつている。―― スサノヲ....
牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
であった。神武天皇御東征の時に、大和の土人|弟猾は生酒を以て皇軍を饗したと「日本書紀」にある。牛肉を肴として酒を飲んだものであろう。また「古語拾遺」には大地主神....