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「有島武〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

有島武の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
文放古」より 著者:芥川竜之介
花《とくとみろか》程度なのね。きのうも女学校の時のお友達に会ったら、今時分やっと有島武郎《ありしまたけお》を発見した話をするんじゃないの? そりゃあなた、情《な....
誰も知らぬ」より 著者:太宰治
の歴史小説が好きでしたけれど、芹川さんは、私を古くさいと言って笑って、鴎外よりは有島武郎のほうが、ずっと深刻だと私に教えて、そのおかたの本を、二三冊持って来て下....
さようなら」より 著者:田中英光
甘粕大尉、五・一五や二・二六事件の所謂《いわゆる》、志士たち。敢《あ》えて彼らに有島武郎、芥川、太宰さん等をつけ加えても好い。即わち自殺者と暗殺者が神の如く敬愛....
ふもれすく」より 著者:辻潤
を苛め、無知で厚顔で粗野で、数え立てればまことに言語道断である。 野村隈畔君や有島武郎さんが心中した気持ちは察するにあまりがある。僕は不幸心中の相手がないので....
顔の美について」より 著者:伊丹万作
つとも時たま例外がある。 たとえば私の知つている某氏の場合である。 その顔は有島武郎級のインテリの顔であるがその声はインテリの声ではない。 私はあの顔から....
新版 放浪記」より 著者:林芙美子
を知らない。二階の秋田さんの部屋には黒い手の置物があった。高村光太郎さんの作で、有島武郎さんが持っていらっしたのだとかきいた。部屋は実に雑然と古本屋の観があった....
御萩と七種粥」より 著者:河上肇
持ち寄り、昼食は然るべき料理屋から取り寄せて貰った。当時はすでに故人となっていた有島武郎氏が京都ではいつも定宿にしていたあかまんやという素人風の宿屋があったが、....
有島武郎の死によせて」より 著者:宮本百合子
七月八日、朝刊によって、有島武郎氏が婦人公論の波多野秋子夫人と情死されたことを知った。実に心を打たれ、そ....
学生と生活」より 著者:倉田百三
集、竹取物語、近松心中物、朝顔日記、壺坂霊験記。 樋口一葉 にごりえ、たけくらべ有島武郎 宣言 島崎藤村 春、藤村詩集 野上弥生子 真知子 谷崎潤一郎 春琴抄 倉田百三 愛と認識との出発、父の心配....
読書遍歴」より 著者:三木清
村の講演会を聴きに行ったこともある。武者小路氏の文学は以前から好きで読んでいた。有島武郎氏がホイットマンをしきりに言われていたのもその頃で、有島氏はその時分京都....
わが青春」より 著者:三木清
を作ったことがある。できるといつも谷川徹三に見せて批評してもらった。そのころ彼は有島武郎はじめ白樺派に傾倒しており、私も多少感染されていた。こうした私であったの....
青春の息の痕」より 著者:倉田百三
うに祈ります。ではお大切にいずれまた。 (久保正夫氏宛 二月二十六日。明石より)有島武郎の訪問 おはがき拝見しました。二十日にいらっして下さるそうでうれしく思....
三十年前の島田沼南」より 著者:内田魯庵
に入った木村|鐙子夫人や中島湘烟夫人は皆当時に崛起した。国木田独歩を恋に泣かせ、有島武郎の小説に描かれた佐々木のぶ子の母の豊寿夫人はその頃のチャキチャキであった....
望郷」より 著者:服部之総
川の明治の支柱に阻まれ、酷使され、やがてひそかな民心となって、啄木《たくぼく》や有島武郎《ありしまたけお》の悲劇を孕《はら》んでゆくのである。 ――私はあまり....
早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
正四年の秋はじめてあの緑色の木造の建物が建ち上った時や、トルストイの『闇の力』や有島武郎の『死とその前後』などの演ぜられた時の感激的な印銘は今もなおあざやかに胸....