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有栖川
「有栖川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
有栖川の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
めに、特に列席を許された藤沢恒太郎が、やや下手の座から、口を切った。 「すでに、
有栖川宮が錦旗を奉じて、東海道をお下りになっているという確報も参っております。王....
「乱世」より 著者:菊池寛
の議論は、二日にわたって決しなかった。そのうちに、鎮撫使の橋本少将、柳原侍従が、
有栖川宮の先発として、京師を発したという知らせが早くも伝わった。 その知らせに....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
狼狽は非常であった。三条|実美、伊藤博文等は平和論を主張して居たし、朝廷にても、
有栖川宮|熾仁親王を勅使として遣わされようと云う議さえあった。然るに熊本からの報....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
宮様ばかりになったから、帝の御いつくしみも深かったわけである。宮様は幼いころから
有栖川家と御婚約の間柄であったが、それが徳川将軍に降嫁せらるるようになったのも、....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
、堂上にはまた、この計画に荷担して幕府に反対し併せて公武合体派を排斥しようとする
有栖川宮をはじめ、正親町、日野、石山その他の公卿たちがあったことも見のがせない、....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
幕の官軍はいよいよ三道より出発するとのうわさが兵庫神戸まで伝わって来た。大総督|
有栖川宮は錦旗節刀を拝受して大坂に出で、軍国の形状もここに至って成ったとの風評は....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
の中からまた幾人かを選んで、短かい伝を記そう。上流では北白川宮大妃富子殿下、故|
有栖川宮《ありすがわのみや》妃慰子殿下、新樹《しんじゅ》の局《つぼね》、高倉典侍....
「じいさんばあさん」より 著者:森鴎外
銀十枚下し置かる」と云う口上であった。 今年の暮には、西丸にいた大納言|家慶と
有栖川職仁親王の女楽宮との婚儀などがあったので、頂戴物をする人数が例年よりも多か....
「甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
城で謹慎していることだの、上野山内に、彰義隊が立籠っていることだの、薩長の兵が、
有栖川宮様を征東大総督に奉仰り、西郷|吉之助を大参謀とし、東海道から、江戸へ征込....
「開運の鼓」より 著者:国枝史郎
る一方、幕臣達は隊を組んで安房、下総、会津等へ日に夜に脱走を企てる。征討大総督|
有栖川宮は西郷隆盛を参謀として東山北陸東海の、三道に分れて押し寄せて来る。二百数....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
こでいよいよ朝廷に於ては、慶喜討伐の大軍を起され、江戸に向けて発することにした。
有栖川宮熾仁親王を征東大総督に仰ぎまつり、西郷隆盛参謀、薩長以下二十一藩、雲霞の....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
かれない税金のようになっているらしい。
実相院|址の一廓は、水落寺の隣り地で、
有栖川の流れと、上小川の流れと、ふた筋の水脈に挟まれていて、応仁の乱の折には、一....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
な、ものを思わせられる。 いま、翁島へ曲がって来たすぐかなたの湖畔の勝地に、旧
有栖川宮の別邸が見えた。別邸の夜に、明治大正時代のシャンデリヤが栄え燿いたころ、....