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本有
「本有〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
本有の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「虚構の春」より 著者:太宰治
を知らない。君は、僕の『つぼ』をうったことは曾《か》つてないのだ。倉田百三か、山
本有三かね。『宗教』といわれて、その程度のことしか思い浮ばんのかね。僕は、君のダ....
「真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
時|過《た》ったから前よりは判然《はっきり》と黒ずんだ紫色に細引の痕《あと》が二
本有るから、甚藏はジーッと暫く見て居る処へ手桶を提げて新吉がヒョロ/\遣って来て....
「芥川の事ども」より 著者:菊池寛
か。」 「知らない。君は。」 「僕も知らないんだ、あれは人の名かしらん。」 山
本有三、井汲清治、豊島與志雄の諸氏がいたが、誰も知らなかった。あの手記を読んで、....
「花吹雪」より 著者:太宰治
にて渇を医す事に致し居候。四月なり。落花紛々の陽春なり。屋台の裏にも山桜の大木三
本有之、微風吹き来る度毎に、おびただしく花びらこぼれ飛び散り、落花|繽紛として屋....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
文学は落第生文学になるわけだ。妙な比較だが、漱石や小林多喜二は優等生だ。藤村も山
本有三もだ。これによると、軽風俗の文学にモラルがあるとしたら、それは理想にではな....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
存者は僅々左の十数氏に過ぎない。(順序不同) 牟田口利彦(旧姓梅津)、野中到、隈
本有尚、中江三次、宇佐元緒、松本健次郎、加野宗三郎、佐藤文次郎、堺仙吉、一田彦次....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
人を、森帯刀様と仮定すると、その連累が大鳥井紋兵衛、それから大槻玄卿なる者は、日
本有数の蘭学医、信州の天野か江戸の大槻かと呼ばれ、俺と並称されている。いずれここ....
「埋もれた漱石伝記資料」より 著者:寺田寅彦
生がいた。理学士ではなかったがしかし非常に篤学な人で、その専門の方ではとにかく日
本有数の権威者だという評判であった。真偽は知らないが色々な奇行も伝えられた。日本....
「交遊断片」より 著者:豊島与志雄
は私の方で精根がつきて、笑い出してしまった。 * 或る日の夕方、山
本有三君が威勢よくやって来た。何処かで飯でも食おうというのだ。ところが私は、もう....
「吝嗇神の宿」より 著者:坂口安吾
に歩いてもフシギがられもしない。国電、都電にも近く、ドロボー君のアジトとしては日
本有数の好点。 「この階段をこうトントンと登って……」 心も軽く案内に立つドロ....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
妹のように可愛がって下さった姫君でした」 大変な名が現れてきた。羽黒公爵家は日
本有数の大名門。うかつに警官の近づける家ではない。けれども政子の申出であるから、....
「世界的」より 著者:太宰治
身近かにいると、かえって真価がわからぬものである。気を附けなければならぬ。 日
本有数という形容は、そのまま世界有数という実相なのだから、自重しなければならぬ。....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
、大きくもある。耕作面積が猫の額ほどしかない山国の飛騨の農家がはるかに立派で、日
本有数の米どころたる新潟や秋田の農家が他国の農家の馬小屋の如くに貧困極まるものだ....
「地上」より 著者:島田清次郎
帯びて生きて来た。それは苦しかった。(あの天野が冬子を連れてゆく。何でも聞けば日
本有数の大実業家だという。それは事実であろう。十数年前の「青年思想家の天野一郎」....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
ぱいに敷詰めて有る横庭に下りると、余り大きくは有りませんが、葉のこづんだ赤松が一
本有りまする処まで参り、ホッと漸く息を吐いて、鉢前のゴロタ石を拾って左の松ヶ枝に....