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東大寺
「東大寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
東大寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
以上に、深刻なものだったらしい。 兼良は奈良の大乗院に避難して居る。元来奈良の
東大寺、興福寺等の大寺では、自ら僧兵を置いて自衛手段を講じて居たので、流寓の公卿....
「連環記」より 著者:幸田露伴
き深解の人あるか、と感じた。そこで答釈を作ることになった。これより先に永観元年、
東大寺の僧|※然には勝って見えたので、彼土の人々も流石に神州の高徳と崇敬したので....
「死者の書」より 著者:折口信夫
した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。今年五月にもなれば、
東大寺の四天王像の開眼が行われる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
で居る。 続紀には、天平二十一年二月、陸奥始めて黄金を貢いだことがあり、これは
東大寺大仏造営のために役立ち、詔にも、開闢以来我国には黄金は無く、皆外国からの貢....
「雪の宿り」より 著者:神西清
って、午をまわる頃には奈良の町を、ふかぶかとうずめつくした。興福寺の七堂伽藍も、
東大寺の仏殿楼塔も、早くからものの音をひそめて、しんしんと眠り入っているようであ....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ンから大台ヶ原全体にかけて、すなわち山伏の根本道場だね。蔵王堂は木造建築としては
東大寺の次ぐらいに大きいのだそうだが、実にヌッと突ッ立ってる様が山伏的にブザマで....
「文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
ます。このとき、天皇は大いに嘉尚し給い、幣を奉じて畿内七道の諸社に告げ、……尋で
東大寺に行幸、盧舎那仏に礼賽あり、百官の位階を進めて天下に大赦し、……天平二十一....
「ながうた勧進帳」より 著者:酒井嘉七
左衛門は義経主従を疑惑の目で見守る。しかし、弁慶は落ちつきはらって、自分達は南都
東大寺建立のため勧進の山伏となっているものである、と云う。関守は、若し、そうした....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
。彼は無量光院を建立して、院内の荘厳ことごとく宇治平等院を摸したとある。その他、
東大寺大仏殿再興の時のごときも、彼は実に第一番に勧進に応じたものであった。『吾妻....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
まれて生長したのだから並々の生涯ではない。 建保四年六月、実朝二十五歳である。
東大寺の大仏修理をした宋人|陳和卿が来た。実朝に謁して前生は宋の育王山の長老だと....
「舞子より須磨へ」より 著者:小川未明
な松並木のある街道を通った。 私の手携げ袋の中には、奈良の薬師寺で拾った瓦や、
東大寺で買った鐘や、いろ/\のものが入っているので、手が痛くなって、其処の松並木....
「四つの都」より 著者:織田作之助
日は京都へ行って、大橋先生に相談して来ようと思うんです、今度の仕事の事で」 一四
東大寺大仏殿。 五丈三尺五寸の大毘盧遮那仏。 庄平大仏を見上げている。眼鏡をとっ....
「エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
非人三党の輩といえども守護国司の望みをなすべく、如何ともする能わざるものなりとの
東大寺尋尊の述懐は、必ずしも大和ばかりの状態ではなかった、野宿・山宿・河原者の徒....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
も勢力を及ぼして、大親分となっていた。清水坂の非人は祇園感神院に属し、奈良坂のは
東大寺に属しておったから、ここにも南都北嶺争覇の影響が及んでいたものらしく、仁治....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
門の如き役務に従事するものが必要であったに相違ない。現に奈良においては、興福寺・
東大寺等の諸大寺以外、いわゆる奈良七郷にもそれぞれ唱門師が付属していた。この事実....