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東武
「東武〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
東武の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
じたら、念を入れて仕まつれ」と、家来は直垂《ひたたれ》の袖で鼻をこすった。 坂
東武者も初の上洛に錦を飾って来たとみえて、その直垂には藍の匂いがまだ新しいようで....
「水害雑録」より 著者:伊藤左千夫
が、常に肉体を興奮せしめ、その苦痛を忘れしめるのか。 あるいは鎌倉武士以来の関
東武士の蛮性が、今なお自分の骨髄に遺伝してしかるものか。 破壊後の生活は、総て....
「田舎教師」より 著者:田山花袋
ぞくぞくとして見られた。南埼玉の一郡から徴集されたものが三百余名、そのころはまだ
東武線ができぬころなので、信越線の吹上駅、鴻巣駅、桶川駅、奥羽線の栗橋駅、蓮田駅....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
納されたものだそうです。 さればこの山の神社に四年目毎に行わるる奉納の試合は関
東武芸者の血を沸かすこと並々《なみなみ》ならぬものがあります。八州の全部にわたり....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
かぶった無頼漢退治《ぶらいかんたいじ》に当ろうというのであります。 おりから関
東武士の面目というものは、旗本の間にはなく、譜代大名の中にもなく、辛《かろ》うじ....
「池袋の怪」より 著者:岡本綺堂
の奇談が往々ある。で、名奉行と聞えた根岸肥前守の随筆「耳袋」の中にも「池尻村とて
東武の南、池上本門寺より程近き一村あり、彼村出生の女を召仕えば果して妖怪などあり....
「増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
国宝として特に秀でた建築ができあがったのであった。『徳川実記』、『本光国師』、『
東武実録』などによると、二代秀忠の歿したのは寛永九年正月で、同月二十七日霊廟の工....
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
を施すともいえる」 「…………」 「宇都宮公綱は律義者じゃ。義に厚く情に脆い。坂
東武者の典型でもあろうよ。ただ不幸にして順逆の道を誤り、今こそ朝家に弓引いておる....
「平家蟹」より 著者:岡本綺堂
世にたよりない我々姉妹、この末ともにかならず見捨てて下さりまするな。 与五郎 坂
東武者は弓矢ばかりか、なさけにかけても意地は強い。一度誓いしことばの末は、尽未来....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
った。相手があくまでも情ないほど、師直の恋はいよいよ募って、色黒く骨たくましい坂
東武者もこの頃は恋い死なぬばかりに思いわずろうている。この病いは和丹両家の典薬ど....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
げに見ゆる武骨一遍の勇士のことを言いたるものなり。 これらはいずれも都人より関
東武士を指せるものなれども、関
東武士自身また、他より然か言わるることを覚り、時と....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
したので、国論忽ち一時に沸騰して日本の危機を絶叫し、舞踏会の才子佳人はあたかも阪
東武者に襲われた平家の公達上※のように影を潜めて屏息した。さすがに剛情我慢の井上....
「皇海山紀行」より 著者:木暮理太郎
ろう。 連日の雨もようやく上ったらしいので、同行の藤島君とともに十一月十六日に
東武線の浅草駅を出発した。相老で足尾線に乗り換え、原向で下車したのは午後四時近く....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
おいて相違がありました。源平合戦の時に、斎藤別当実盛が、両者を比較しまして、 坂
東武者のならひとて、父が死せばとて子も引かず、子が討たるればとて、親も退かず、死....
「濹東綺譚」より 著者:永井荷風
も首環に鑑札がつけてあって、左程|汚《きたな》らしくもない。忽《たちまち》にして
東武鉄道玉の井停車場の横手に出た。 線路の左右に樹木の鬱然と生茂《おいしげ》っ....