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「松前〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

松前の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
さき》を右へ変えて、そこの横堀《よこぼり》を奥へ、ぐんぐんと進みました。 右は松前|志摩守《しまのかみ》、左は小笠原《おがさわら》家の下屋敷、どちらを見ても、....
突貫紀行」より 著者:幸田露伴
《はや》くに出港せしが、浪風あらく雲乱れて、後には雨さえ加わりたり。福山すなわち松前《まつまえ》と往時《むかし》は云《い》いし城下に暫時《ざんじ》碇泊《ていはく....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
、その際は先鋒を承って死力を尽くしたいと申し出た。 十月にはいって、阿部豊後、松前伊豆両閣老免職の御沙汰が突然京都から伝えられた。京都伝奏からのその来書による....
新釈諸国噺」より 著者:太宰治
、北の果の海には、このような不思議の魚も少からず棲息しているようである。むかし、松前の国の浦奉行、中堂金内とて勇あり胆あり、しかも生れつき実直の中年の武士、或る....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
しい数にのぼったことであろう。十六年の地震は、三陸の地震で、仙台、南部、津軽及び松前の諸領にまで海嘯があった。十九年の地震は、越後、相模、紀伊、山城で、越後に海....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
と、いつ召し捕えられるか知れたものではない。江戸へ帰るわけにはいかないから、船で松前へ落ちのびることにきめた。ところが、船をだしてくれる船頭がいないのである。カ....
紅毛傾城」より 著者:小栗虫太郎
の昔サガレンに流れ寄った漂流民、それから、イルツクの日本語学校で育った儂たちだ。松前の藩から、上陸を拒まれたを機に、この島に根城を求めたが、今までは一とおり、金....
地上」より 著者:島田清次郎
妹に対する明るい愛が現われているのをお光は知った。 「いい景気だったよ! とても松前の景気を見て来るとこの辺は死んでいるようなものだあね」睫毛をしば/\させる俊....
妖怪漫談」より 著者:岡本綺堂
使する海中で、紅裳を着けた婦人を見たと伝えている。我国でも西鶴の『武道伝来記』に松前の武士が人魚を射たという話を載せているが、他には人魚の話を書いたのは少く、人....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
という一種特別の言語があって、その中には「蝦夷詞もいと多し」と書いてある。真澄は松前にも渡って、相当アイヌ語をも知っておったであろうから、その言うところ信ずべき....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
実際北海道のアイヌが甚だしく堕落して、世間の文化の進歩に後れたということは、松前藩の政策として、商人を使用して、どこまでもアイヌを未開の状態に保存し、所謂人....
活人形」より 著者:泉鏡花
、よくよく思い詰めたる物と見ゆ。遥々我を頼みて来し、その心さえ浅からぬに、蝦夷、松前はともかくも、箱根以東にその様なる怪物を棲せ置きては、我が職務の恥辱なり。い....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
。」 「本場じゃないんですね。追分はどうです。」 「忍路高島ですか。あれは流石に松前から此方のものですね。信濃の追分とはまた味がちがっていい。」 「信濃の追分と....
アイヌ宗教成立の史的背景」より 著者:知里真志保
の、宝暦8年(西紀1758)の著述と推定されるものでありますが、その本の上巻に、松前蝦夷地の風俗の聞書として、“日和もふし”という行事の記事が見えております。“....
昆布とろ」より 著者:北大路魯山人
布は、東京ではそんじょそこいらに今なお売っていないようである。だから、私は京都の松前屋からわざわざ取り寄せる。産地の北海道みやげだからと安心するわけにもいかない....