松方[語句情報] »
松方
「松方〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
松方の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「山と雪の日記」より 著者:板倉勝宣
シベリヤの停車場 駅長室に入れば 燃ゆるストーブ こごえし身も心も 今はとけぬ
松方はいう 気持ちのいい停車場 ウインクレル氏はいう ウィーンの停車場のよう ス....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
それに感染せられたのであるが、三田邸は二万数千坪もあって、高台であるし、現今では
松方侯爵その他が分割して東京でもよい邸地といわれているのだが、それを僅に三千何百....
「武州喜多院」より 著者:中里介山
間を通してあちらの間は春日局がお産の祷りをした間であると伝えられ、それからまた国
松方の間者として入り込んでいた侍女を差し殺したという伝説もある。 というような....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
た都合がよかろうと、甲州から武州へ引っ返し、以前わけても世話になった高萩村の猪之
松方に、賭場防として身を寄せた。それは水品陣十郎であった。 脱いだ編笠を手に提....
「豊竹呂昇」より 著者:長谷川時雨
氏は、呂昇会をつくろうと同族間を奔走されたほどであった。貴族のなかでも、柳原伯、
松方侯、井上侯、柳沢伯、小笠原伯、大木伯、樺山《かばやま》伯、牧野男、有馬伯、佐....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
したのは西郷従道さんであったといいます。これは私が先年大西郷の銅像を製作した際、
松方侯の晩餐に招かれて行きましたが、その席に大山、樺山、西郷など薩州出身の大官連....
「回想録」より 著者:高村光太郎
は大分ある。銅像は私が記憶にない頃からやっていたとみえて、若い頃の八の字|髭姿の
松方正義伯のものなど物置に後まで木型があった。木で肖像を拵えるのだから、彫って行....
「自作肖像漫談」より 著者:高村光太郎
場で、星出し針で木彫に写される時むざんに歪められてしまうような事も少くなかった。
松方正義老公の銀像、大倉喜八郎男夫妻の坐像、法隆寺貫主の坐像などが記憶にのこって....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
た。ツイ昨年|易簀した洋画界の羅馬法王たる黒田清輝や好事の聞え高い前の暹羅公使の
松方正作の如きもまた早くから椿岳を蒐集していた。が、椿岳の感嘆者また蒐集家として....
「帝国劇場のオペラ」より 著者:永井荷風
氏の斡旋に依って邦人の前に演奏せられ、仏蘭西近世の美術品と江戸の浮世絵とは素封家
松方氏の力によって極東の地に輸送せられた。日本の芸術界は此の二氏の周旋を俟って、....